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遠くに見えてきた村の跡地
巨人に壁を破られ、放棄されたその場所に村人は存在しなかった
だからこそ壁外調査の際の中継地点にされている
今日はあそこへ辿り着き、荷を下ろしたら引き返すという任務だった
他にも巨人が集中している場所があれば討伐するという話だったが自分には無理だろう
立体機動装置は使えないし、正直馬に乗っているのも精一杯で――と思ったところで青い空に緑色の煙が打ち上げられた

「信煙弾だ」
「ミケさんね。私たちに気付いたみたい」
、覚悟しておけよ。団長が待ち構えてるぞ」
「はぁ……」
「団長だって心配してるんだから。顔には出ないけど」

ペトラの声に頷いて左手で手綱を握り直す
己の心臓の動きにすら痛みを感じる腕
早く鎮静したいと思いながら兵站拠点となる村の中へと馬を駆けさせた
巨人に襲われ、廃墟と化したその場所に次の壁外調査の為に必要な物資を運んでおく
たったそれだけだというのに、こんな怪我をするなんて
今までずっと無傷で来たという訳ではないが、こんな怪我は初めてだった
廃村に入り、土の露出した道を通って中心部にある広場へ
チラホラと調査兵の姿が見え、そして広場の入り口にはオルオが言った通りの光景があった
外套を風に靡かせて立つ金髪碧眼の男
それを見て少し、ほんの少しだけ嬉しく思った
緩やかな上り坂を馬が駆けあがり、手綱を引くと彼の前で手綱を引いて足を止める
なんと声を掛けようか、一瞬迷ったところでエルヴィンが先に動いた
腰に腕を回され、そのまま馬の背から引き下ろされる
周囲の目なんて全く気にする様子もなく――気にしないからこそ、訓練兵の前で告白をしたのだろうが――そのまま両腕に抱えられて簡易な診療所へと連れて行かれた

「団長、歩くことは出来ますが」
「顔色が悪い。出血が多いのだろう」

確かに彼が言う通り、流れた血の量は多い
中に着ている服もジャケットも血を吸っていて重たくなっていた
これだけ出血していれば顔色も悪くなるだろうと大人しく運ばれる事にする
エルヴィンが向かう先にあるのは比較的丈夫そうな家屋の庇の下を幕で覆って作られた、シートの上に医療道具の入った箱だけが置かれた場所
そこにある箱を並べて布を敷いただけのベッドに下ろされると腕を固定していた外套が外され、巻いていた布切れが取り除かれていく

「すみません、どなたか服を脱がせてください」

途端に溢れ出す血を押さえるので精一杯なのか、そんな声が上がった
傷口を見せるにはジャケットとベルト、それに中に着ている服を脱がなければならない
エルヴィンがこちらの袖に手を触れて引くのを感じ、肘を曲げた
するりとジャケットが腕から抜け、怪我をした右腕の方は医療の心得のある兵士によって脱がされる
続いて上半身のベルトを外して、それから服の釦を外した
それを脱いで、更に中に着ている白いシャツも――というところで思わず左手でエルヴィンの手を掴む

?」
「あ……いや、なんでも……」

肌に残っているであろう跡を、見られたくなかった
だがこの怪我を放って置く訳にもいかないだろう
もう既に、襟で隠れていた部分は見えているだろうし
そう思いシャツを脱がされると肌を汚す血を拭われた
何度も拭われるが首筋から胸、腹部に点々と赤い跡が残っている
それを見たオルオが「うわぁ」と言いたそうな表情を浮かべた
自分にだって同じ跡が付いているだろうに
その隣で何故かペトラはキラキラとした目をして口元をにんまりと笑わせているが――

(くそ、恥ずかしいな……)

そう思っていると傷を確認され、兵士がエルヴィンへと顔を向けた

「団長、分隊長の体を起こした状態で押さえていてもらえますか?出来るだけ、動かないように」
「分かった」

言葉を返した彼が血が付着するのも構わずに自分の背後に座って片腕を腹部に、もう一方の腕が左側から回されて手が右の首の付け根に触れる
息苦しいと思いながらガシャッと音を立てて側に置かれたトレーへ目を向けた
様々な形の医療器具を見て思わず眉を寄せる
このような場所では当然ながら設備がなく、麻酔すら使えずに応急処置が行われていた
最低限の処置をして、壁内に戻ってから本格的な治療を受ける事になる
小さい傷ではない為にそのどちらの処置にも痛みを伴った
噛み付かれて裂けた皮膚と血管の縫合に、折れてズレた骨を正常な位置に戻してからの固定
考えるだけで嫌になる――と思ったところでエルヴィンが顔をこちらに向けた
近い距離で視線を合わせると彼がこちらを抱える腕に力を籠める

「痛むだろうが耐えてくれ」

そう言われて左手で彼の外套を掴んで引っ張り顔を隠した
処置が始まると想像以上の痛みに歯を食いしばり、体の至る部分に力が入る
思わず動いた脚を、誰かが押さえるのが分かり外套をずらすとオルオの顔が見えた
太腿をオルオが、脹脛をペトラが体重をかけて押さえている
三人がかりになるとは――だが、押さえてもらわなければ治療する兵士を蹴るか殴るかしてしまいそうだった

「つ、うぅっ……!」

血が溢れる血管を、裂かれた皮膚を縫い合わせる針が刺さる痛み
そして、折れてズレた骨を元の位置へと戻す為に無理に引っ張られ、固定される痛み
流石に呻き声は漏れるし、涙も出るしで散々だった
気を失う事も出来ずに耐え難い痛みに長時間耐え、肩から指先まで包帯でグルグルに巻かれて三角巾に腕を通すと漸く人の手が離れる
それを感じてはエルヴィンの外套で涙を拭うと顔を上げた

「……すみません」
「よく耐えた」

短く言葉を交わして彼の体が離れると、脚から手を離した二人の友人へと顔を向ける

「手間かけさせたな」
「いや、頑張ったな」
「気を失わないなんて、は凄いわね」

今回ばかりは気を失った方が良いと思うのだが
そう思いながら二人の言葉に曖昧に頷き、少し迷ってからジャケットだけを羽織る
血塗れの服は着たくないし、替えの服など持ってきていなかった
他に使える物といえば遺体を包む布くらいでそれはさすがに羽織る気にはならないし
外套も包帯代わりに裂いてしまったからこれしか着られるものがない
左の腕だけを通し、気休めに鎮痛剤を渡されたところでリヴァイが幕の中へと入って来た

「終わったのか。ひでぇ格好だな、
「どうも。班員が抜けて迷惑を掛けた」
「罰は受けると言って抜けたんだ。覚悟はしているだろうさ」

言い終えた彼が治療を手伝ってくれたオルオとペトラに向き直る

「オルオ」
「はい」

返事をした彼の額の高さに上げられたリヴァイの右手
人差し指を曲げ、親指で押さえたその形は――と思ったところで良い音を立てて額が弾かれた

「いっ!てぇ……すみませんでしたっ」

一瞬で涙目になったオルオ
可愛いなと思っているとリヴァイがペトラの方へ体を向けた

「ペトラ」
「は、はいっ」

既にぎゅっと目を閉じ、拳を握って準備万端の彼女
そんなペトラの額も良い音と共に弾かれて小さく悲鳴が上がった

「ひっ!……うぅ。申し訳ありませんでした」

団長の命令に反し、勝手に隊列を離れた二人への罰
なんて優しいんだと思っているとエルヴィンが座っていた簡易ベッドから腰を上げた
額を摩る二人の側に行くとその肩に手を触れる

「よくやってくれた。を失うことは兵団にとって大きな損失となる」
「あ、いえ……ダチなんで。あんなの見たら助けに行きますよ」
「オルオの言う通りです。見捨てるなんて……出来ません」

そう答える二人にエルヴィンが頷き、手を離した
鎮痛剤を飲み終えた自分を肩越しに見るとリヴァイへと顔を向ける

「撤収の準備を。は馬車に乗せる」
「了解だ」

そんなやりとりをするのを聞いて自分も立ち上がった
本当は横になって休んでいたいが人が集まっていれば巨人も集まる
その為に警戒は怠らず、今もミケは家屋の屋根に上がって周囲の匂いを嗅いでいた
診療所を離れ、荷が下ろされた馬車を眺めているとぱたぱたと複数の足音が近付いて来る
その音で相手の姿を想像しながら振り返ると、思った通りに104期が駆け寄ってきていた

さん!」
「あぁ……お前たち。無事だったか」
「はい。あなたが巨人に攫われて……俺、なにも出来なくて」

エレンがそう言い、顔を俯かせる
は内心ため息をつくと彼らの方に体を向けた

「団長は何かしろと言ったか」
「いえ……進め、とだけ……」
「ならそれに従え。団長の命令に逆らうな」
「……でも、オルオさんとペトラさんはあなたを助けに……」

次はミカサかと、彼女の方を見て僅かに目を細める

「罰を受ける覚悟でな。あいつらならあの巨人を確実に討伐出来た。だから動いたんだ」
「確実に、討伐……」
「巨人の討伐は平原よりも森の中の方が有利だ。近付いて来るのは見えねぇが、立体機動装置が使えるからな。あれが平原で起きていたら、あいつらも追っては来なかった」
「そんな、だって……同期の友人、なんですよね?それに、団長だって……あなたを、見捨てるような命令を……恋人なのに……!」

顔色を変えるアルミンには頷いて見せる
訓練兵団に入ってからもう七年
毎日のように顔を合わせる友人の二人
そして所属する兵団のトップに立つ男
恋人と言う立場になり、自分にとっても一応は特別な存在だった
だからこそ――

「俺の為に死ぬような奴らじゃない」
「え……?」
「俺だって助けられるときは助けるが……無理なときは見捨てるぞ。今までもそうしてきた」
「でも、団長を庇ったじゃないですか。そんな大怪我をしてまで」
「あいつが死んだら兵団が困る。ただの兵士の俺とは違って替えが利かねぇ奴だ。声を掛けて間に合うのならそうしたが、間に合わなかった。だから庇っただけだ。……お前たちも、全てを守ろうとするな。いつでも見捨てる覚悟をしておけ」

そう言うと三人が複雑そうな表情を浮かべる
は胸に残る跡をジャケットを引いて隠すと彼らの側を離れた
訓練兵にはきつい言葉かもしれないが本当の事しか言っていない
今日の自分はたまたま森の中で喰われかけて、見ていた友人がいて、助けてくれただけだ
あれが平原であれば死んでいただろう
そう思いながらここに辿り着く前に負傷した数人の兵士が馬車へと乗せられているのを眺めた
あの中に自分も混ざる事になるが馬の負担を考えて別の馬車にした方が良いか
少しでも早く壁内へと引き返さなければならないのだから
そう思い、空いている馬車へ向かおうとしたところでエルヴィンに声を掛けられた


「はい、団長」
「……」
「なにか……?」

体を向け、彼を見上げるとなにやら考え込んでいるような表情を浮かべている
そう感じただけで、相変わらず無表情に近いが――
どうかしたのかと思っているとエルヴィンが小さく息をもらして口を開いた

「さっきは、名前で呼んでくれたが」
「……そうでしたか?覚えていませんが」
「お前の声で名前を呼ばれるのがあんなにも耳障りが良いとは思わなかった」
「そう、ですか……」

そう言われると、なんだか不思議な感じがする
自分もエルヴィンの声で名前を呼ばれるのは好きだから
でも出来れば名前ではなくオルオや兵長のように呼んでほしかった
きっと呼ばれるたびに落ち着かない気持ちになるだろうが――

「あの……交換条件で、なら……」
「交換条件?」
「俺を、と呼ぶのなら、団長のことも名前で……」
「分かった、
「……改めてよろしくお願いします。エルヴィン」

ああ、なんだかくすぐったい
これが恋愛感情と言うものなのだろうか
今まで一度も経験がないのだが、胸の奥がざわつくような――
落ち着かない気持ちで言葉を返すと彼が目を瞬き、それから笑みを浮かべて頷いた
普段からこうして表情に出しくれたら分かりやすいが、それはお互いさまか
こんな性格だから無駄ににこやかな表情を浮かべて過ごすなんて事が出来る訳がない
親しい数人だけに笑っていれば良いだろう
はそう思いながらエルヴィンの手を借りて空の馬車へと乗り込んだ

2022.04.10 up