02

髪をきちんと纏めて、制服を身に着けて
立体機動装置は部屋に残したままは広場へと来ていた
その場所にはエルヴィン団長とミケ分隊長の部隊、それに特別作戦班が揃っている
身長の高い分隊長を迫力あるなあと眺めていると不意に視線が合った
彼がぱち、と目を瞬くと部下の側を離れてこちらへと歩み寄って来る
なんだと思っているとミケの指先がこちらの額に向けられた

「どうした」
「昨日、事故に合いまして」
「事故?」

あの出来事を話すのは気が引けてしまう
ハンジに悪気は全くなく、扉の向こうにいる自分に気が付かなかっただけなのだから
なんとか誤魔化す方向で――と思ったところで兵長の側に居た弟が隣に立った

「ハンジさんが姉ちゃんに扉をぶつけたんスよ。血が出るくらい、思いっきり」
「こら、オルオ」
「本当のことだろ」
「そうだけど」

人の失敗を大っぴらにするのも気が引けてしまう
ハンジは上官だけれど、同時に仲の良い友人でもあるし
そう思いながらミケを見上げると彼が気の毒そうに眉を寄せた

「大丈夫なのか」
「はい。ですが、大事を取って今日は待機です。ご一緒できず、申し訳ありません」
「いや、打ったのが頭なのだから今日は出ないほうが良い」

その言葉に頷いたところで時間になったのか周囲が静まる
ミケが側を離れ、皆が姿勢を正して団長へと注目をした
自分は討伐には出ないが他の兵士と同じように彼を見つめる
日の光に輝く金色の髪と、透き通るような綺麗な青い瞳
前に立つ弟の影からひっそりとエルヴィンの姿を見つめて誰にも気付かれないようにふうと息をはいた
胸の奥に何かが詰まったように苦しくて、重たく感じる
団長の事を考えたり、彼の声を聞くと決まってこのように苦しくなってしまった
三ヶ月ほど前からだっただろうか
以前は緊張するだけでこんなに動揺する事はなかったのに
これが所謂恋心、というものなのだろう
想いを打ち明ける気はないが、これはいつか治まるものなのだろうか
その日が早く来てくれたら良いのに
こんな気持ちを押し殺して、平静を装うのは結構辛いものだから
そう思い、視線を落として団長の言葉に耳を傾ける
旧市街地での巨人の討伐
馬は使わずに壁から直接飛び降りて討伐をするという内容だった
兵站拠点の設置任務などよりは難易度は低い
それでも巨人を相手に戦うのだから命がけの任務だった
エルヴィンの話が終わり、皆が壁に向って移動を始める
立体機動装置を使い、次々に飛び去る兵士を見送っているとオルオが肩越しにこちらを見た

「行ってくる」
「行ってらっしゃい」

こちらの言葉に頷く弟の肩に軽く触れ、そっと押し出す
それに合わせるようにして一歩踏み出し、それからアンカーを射出して兵舎を飛び越えて行った
瞬く間に遠ざかるその姿を見送ると、一人残った広場で空を見上げる
皆が無事に戻って来ますように
そう願い、遠くにある壁を見つめてからその場を離れた
討伐任務に出られない自分には別の仕事がある
弟の事は心配だが兵長がいるから無理をしようとすれば止めてくれるだろう
はそう思い、団長室へと向かった
その部屋は主が不在だというのに兵士の出入りは多い
皆が書類を手に部屋を訪れ、手ぶらで出て行くのを遠目に見ながら足を進めた
扉を開けて兵舎に入り、廊下を進んで正面にある扉へと近付く
ドアノブに手を触れようとしたところでそれが動くのが見えて一歩後ろへと引いた
扉を開けた人が自分を見て目を瞬く

?どうしたんだ、その頭は……」
「おはようございます、モブリットさん。これは……事故です」
「事故?何があったんだ」
「その……言い難いのですが、ハンジさんが……」
「ハンジ分隊長が……?」
「あの、ハンジさんも反省しているから責めないであげてくださいね」

丁度、彼が今開けた扉にぶつかったのだけど
角の部分が当たったから流血したのだろう
痛かったなと昨日の事を思い返しているとモブリットが腰を九十度に折って頭を下げた

「っ、モブリットさん?」
「申し訳ない。女性の顔に傷なんてつけて……」
「気にしていません。今日、討伐を休むように言ってくれたのもハンジさんですから」
「……そうか。今日、リヴァイ班は旧市街地の討伐が……」
「はい。怪我をしたのが頭なので今日は大事を取って団長の補佐をします」
「そうだったのか。分隊長は自分には一言もそんな話は……」
「忙しいから忘れちゃったんですよ。包帯で大袈裟に見えますけど、傷は大した事ないですから」

そう言うと彼が漸く顔を上げ、こちらの額へと視線を向ける
覆う範囲が広いから大怪我だと思われるのだろう
内出血はあるが、傷は縦一センチくらいしかないのに
そう思いながら指先を包帯に触れて軽く摩った

「大丈夫ですよ。すぐに治ります」

今朝、オルオに包帯を巻いてもらったが傷の状態は良くなっている
ただ処置を受けている間、リヴァイを始めとした班員全員に見守られて恥ずかしかったけれど
そう思っているとモブリットが小さく頷き、廊下へと足を踏み出した
今日も忙しいのだろうなと思いながら廊下を戻って行くその姿を見送る
開いたままの扉から団長室へと入ると正面にある机へと歩み寄った
そこには届けられた書類が重ねられているのだが、なんだかバランスが危うい
崩れそうなそれをそっと端に寄せて一番上の物から空いたスペースへと移していった
部署ごとに、急ぎそうなものと後回しで良いものを選り分けていく
ジャケットのポケットに手を入れるとそこに入れてきた缶を取り出した
それを机に置いて蓋を開けて――中からクリップを取り出して書類の端を留める
選り分けては留めて、重ねてと繰り返しているとコツコツと廊下から足音が聞こえてきた
兵士が書類を持って来たのだろうか
そう思い、顔を扉の方へと向けて――扉が開かれ、廊下に立つエルヴィンの姿を見て体ごと向き直った

「お疲れさまです」
「あぁ。まだ討伐は続いている。ミケの話では巨人は多いそうだ」
「そう、ですか」

ミケがそう言うのならば多いのだろう
彼の嗅覚は確かなもので、信頼できるから
でも多いとなると心配なのは弟の事で――
昨日言った通り、自分の分まで討伐しようとしないだろうか
無理をしようとすれば兵長が止めてくれるだろうけれど
そんな事を考えている間にもエルヴィンが側を通り抜けて椅子を引き、腰を下ろした
並べた書類を一瞥するとこちらへと目が向けられる

「すまない、纏めていてくれたのか」
「こちらの方が見やすいかと思いまして」
「そうだな。あぁ、混ざらなくて良い」

端に止めたクリップに指先に触れてそう言われ、嬉しく思った
便利ならばこのクリップはこの部屋に置いておこうか
どこか邪魔にならない棚の片隅にでもこっそり置かせてもらおう
そう思い、正面に立って作業するのは邪魔だろうと書類の束を抱えて壁に沿って置かれた棚へと移動する
空いている場所に書類を置くとその場で作業を再開した
普段は自分も書類を届けに来る側なのだが、こんなにも仕事量が多いとは
兵長の倍以上は軽くあるのでは――と思いながら手を動かし、重ねた書類をエルヴィンの机へと置く
サインがされた書類を持つと「届けてきます」と一言断ってから部屋を出た
届け先を確認し、クリップを外してから相手に渡し、再び団長室へと戻って
また書類を分けて、団長の机に置いて――
そんな事を繰り返しているとあっという間に時間は過ぎてお昼になった
仕事も区切りの良いところで中断し、団長の前を辞して部屋を後にする
リヴァイへの書類を片手に兵舎へと戻ると討伐を終えた班員が外套を脱いでいるのが見えた

「皆、お疲れさま」
「ああ。そっちも大変そうだな」
「歩き回ってるだけよ。怪我は……してないみたいね、良かった」

オルオを見てそう言うと彼が不満そうに眉を寄せる

「姉ちゃん、心配し過ぎだって」
「無理するんだもの」
「そうだな。今日はやけに気合入っていた。兵長に止められていたぞ」

エルドの言葉にやっぱりと思いながら弟の側へと歩み寄った

「もう。私の分までって言ってたけど……兵長の命令に従いなさい」
「分かってるよ。無理してねーし」
「そう?さ、お風呂に入って。埃っぽい」

言いながら崩れた家屋の破片でも被ったのか、木くずが引っかかる自分と同じ色の髪を指先で弾く
はいはいと返事をしながら階段を上がっていく弟を見送るとエルドへと体を向けた

「兵長は?」
「先に風呂に」
「そう。書類を部屋に置いておくから、目を通すように伝えてもらえる?」
「分かった」

彼の言葉に頷き、グンタとペトラに労いの言葉を掛けて階段を上がる
リヴァイの部屋に入り、机に書類を置くと時刻の確認をした
食堂は今、混んでいるだろうか
少し時間をずらして行った方が良いかなと思いながら部屋を出て扉を閉める
食事を終えたら午後からまた団長室で補佐をしなければ
兵長と分隊長が戻ったから仕事の量も増えるだろう
毎日沢山の書類を処理して更に壁外調査に、兵站拠点の設置、時には旧市街地の討伐にも出る団長
仕事の量は多くて疲れるだろうにそれを表情に出す事はなかった
感情がないかのようにいつも落ち着いていて、何を考えているのかも分からなくて

「……凄い人、だなぁ」

誰も居ない廊下でぽつりとそんな言葉を呟いた
兵士として彼の側に居るが、自分の力は役立っているのだろうか
精鋭揃いと言われる特別作戦班の一員ではあるが、兵長のような討伐技術はない
ただ、弟に続いて討伐数は多い方だけれど
補佐もペトラのように上手くはないし――
はそう思い小さく溜息を漏らすと紅茶を淹れようと階段の方へと足を向けた

2022.06.14 up