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急遽決まった旧本部への引っ越し
荷造りなどは先輩たちがやってくれて、自分がした事と言えば兵長の案内であちこち歩き回っただけ
緊張して眠れないだろうと思っていたのに疲れていたのか初日の夜はすぐに眠ってしまったようだ
深い眠りから目覚めて見えたのは訓練兵団の兵舎とは違う天井
カーテンの外はまだ暗く、夜明け前だというのが分かる
もう少し寝ておこうと瞼を閉じるが暫く待ってみても眠気が来ることはなかった
隣で眠る人がもぞりと身動ぎをしてマットレスが僅かに軋んだ音を立てる
蝋燭の光もない室内は暗いが、カーテンの隙間から差し込む月明かりで僅かに明るかった
青白いその明かりの中でそおっと左へ顔を向けるとリヴァイが眠っているのが見える
微かな寝息を聞き、そして彼の肩が毛布から出ているのを見てそっと腕を動かした
毛布を掴み、リヴァイの体にかけ直すとカーテンの隙間から僅かに見える空へ目を向ける
月の位置がずれ、空は漆黒よりも少し明るくなっていた
もう寝付けそうにはないから起きてしまおうか
そう思い、彼を起こさないように体を起こした
足を下ろすと室内履きを履き、静かにベッドから離れる
音を立てないように細心の注意を払いながら衣装棚を開け、寝衣から制服へと着替えた
私服を着ようか制服を着ようかと悩んだが、恐らく訓練が始まるだろうから制服の方が良いだろう
ナイトテーブルの上にある二つの燭台の内の一つにマッチで火を灯すと室内がオレンジ色に照らされた
自分の体で影を作り、リヴァイに光が当たらない位置で燭台を手に持つ
タオルとベルトを手に持ってブーツの踵を鳴らさないよう、つま先立ちで扉へと近付いた
ちら、とリヴァイの方を見て起きていないのを確認すると廊下へと出る
暗い廊下に光源は自分が持つ燭台だけ
少し怖いなと思いながら一階へと下りて水場へと向かった
お手洗いやら洗顔を済ませ、それから髪を普段通りに纏める
髪留めを留めたところで何処からか物音が聞こえてびくりと肩が揺れた

「っ……」

きょろりと視線を動かし、燭台を手にそろりそろりと歩き出す
音がした方へ行ってみようと廊下の角を曲がったところで戸口から光が漏れている部屋を見つけた

(あ、あの場所は……)

昨日、案内してもらったが厨房だったと記憶している
戸口まで辿り着き、扉のない戸口から中を覗くとエプロンを身に着けたウィンクルムの姿があった
厚みのある木の板の上でパン生地を捏ねている
その背後の竃には火が入れられ、薪がパチパチと音を立てて燃えていた
毎日、こんなに早い時間から料理の準備をしているのか
思えば昨日の食事の支度でも、彼女は毎回パンを生地から作っていたような――
毎日大変だろうと思い何かお手伝いをと思ったところで視線に気付いたのか彼女が顔を上げた
目が合うとウィンクルムがにこっと笑みを浮かべる

「おはよう。早いね、もっと休んでいても良いのに」
「おはようございます。昨日、ベッドに入ってすぐに眠ってしまって。早く起きちゃいました」
「そうなの。……あの、お料理、出来る?」
「はい、家庭料理程度、ですけど……お手伝い、しても良いですか?」
「良かった。お願いしようと思って……干し肉を塩抜きをして欲しいの」
「分かりました」

そのくらいならばいくらでも出来ると思い、手に持っていたベルトを手早く身に着けた
彼女もエプロンの下に着ているのは制服でベルトもきちんと装備されている
訓練兵団で過ごしていた自分にはエプロンはないが――と思ったところでウィンクルムがぱっと手を払った
動きに合わせて小麦粉が舞い上がりそれを右手でヒラヒラと払いながら左手の指が壁の方を指さす

「左端のエプロン。これと同じサイズだから……あなたには少し大きいかも知れないけど」
「あ。ありがとうございます。使わせて頂きます」

壁に取り付けられたフックに下がるのは三枚のエプロン
ウィンクルムの言う通り、左端の一枚は丁度良さそうなサイズで、他の二枚は大きい
男性が料理をする事もあるのだろうか――と思いながらエプロンを取り、それを身に着けた
ウィンクルムよりも背が低いから裾がちょっと長くなってしまうが気になる程度ではない
水場で手を洗うと肉の大きさを見て鍋を手に取った
それに適量の水を入れると包丁を手に取って調理台に用意されている干し肉をまな板の上に置く

「大きさはどうしましょうか」
「一口大にして、薄く切ってくれるかな」
「分かりました」

この干し肉はどのような料理になるのだろう
そう思いながら肉を切り分けて薄く切り、水の中へと落していった
全ての肉を切り終えたところで背後を見ると、ウィンクルムが成形したパン生地を鉄板に並べているのが見える
食べる人に会わせて大きさを変えているらしく一回り小さなパンが幾つかあった
もう焼く前から美味しそうなそれに見入っていると彼女がこちらを振り返る

「もう終わったの?早いね」
「え?あ、はい。えっと、竃に置けば良いですか?」
「うん。後は野菜を切って――」

ウィンクルムの言葉の通りに手を動かし、調理を進めて行った
パン生地も焼かれ、良い匂いが漂い始めたところで廊下を歩く音が耳に届く
誰かが起きてきたのか
そう思い、戸口へと顔を向けるとオルオの姿が見えた
まだ少し眠たそうな表情で欠伸をしている
先輩の日常の姿を目にすることが出来るとは
旧本部(こちら/ルビ)へ来て良かったと思いながら姿勢を正して彼に声を掛けた

「おはようございます、オルオさん」
「おう、おはよう。……、料理できるのか?」
「はい。普通程度ですけれど……」
「助かる。料理するのは俺とウィルだけだったからな」
「え、そうなんですか?」

リヴァイは上官だから別として――掃除はするけれど――他の先輩たちは全くやらないのか
そう思っているとオルオがはあと溜息を漏らした

「ペトラがな……毒物を作る天才だ」
「毒……?」
「匂い、味、食感……思い出すだけで寒気がする」

そう口にするオルオの顔が青くなるのを見てペトラの料理の腕前を察する
なんと声を掛けたら良いものか――と思っていると彼がふっと短く笑った

「ま、飯は普通に作ってくれたら良い」

言いながら戸口を離れるとやかんに水を入れて空いている竈の上に置いた
横にある棚から缶やティーサーバーを取り出すのを見て紅茶を淹れるのだと分かる
訓練兵団では水しか飲めなかったが、こちらでは高級品である紅茶を普通に飲む事が出来た
これはリヴァイの財力のお陰なのだろう
心の中で恋人に感謝しながら鍋の中身が焦げ付かないように混ぜながらオルオの手元を見た
彼がサーバーに茶葉を入れようとしてふと動きを止める
それからこちらに顔を向けると声を掛けられた

「そうだ。お前が淹れてみろ」
「え?」
「紅茶の淹れ方と掃除のやり方を上達させねえと」
「!、はいっ」

確かにここで生活をするのならばその二つは必須だろう
紅茶はリヴァイの好むもので、そして彼は潔癖症だから塵一つ残さずに掃除しなければならなかった
オルオに教えてもらいながら茶葉を適量入れて、お湯を注いで
茶葉を蒸らしたり、カップのどの位置まで淹れるかを教えてもらったり
紅茶一つ淹れるのも大変だと思いながらティーサーバーを置いた
自分は裕福ではない、普通の一般家庭に生まれたから紅茶を淹れる機会はあまりない
偶に父が買って来てくれるのを適当に淹れていたが、その時とは色も香りも違った
茶葉の種類のせいもあるのだろうが――と思っているとティーカップをオルオが手に取る
スープの味を調整していたウィンクルムも側に来てカップに手を伸ばした
用意されていたのは三つだから残りの一つは自分用か
そう思い、残った一つを持ち上げると口元へとカップを寄せた
香りは良いが、味の方はどうだろう
渋かったりしたら――と、そんな心配をしながら紅茶を口に含んだ
その視線の先でオルオがほっと息をはくのが見える

「上出来だな」
「っ、本当ですか?」
「あぁ」

紅茶を飲み慣れているであろう彼にそんな事を言われるなんて
嬉しいなと思っているとウィンクルムがカップから口を離した

「うん、美味しい。……オルオ。そろそろ兵長が起きて来る頃だけど……」
「そうだな。、お前が紅茶を淹れて持って行け」
「えぇっ」
「さっきと同じようにやれば良いだけだ」

彼の言葉にウィンクルムも同意してしまった
やるしかないのかと覚悟を決めて紅茶を飲み干し、カップを水場に置く
やかんに水を入れ、湯を沸かしながら二人の先輩のカップとティーサーバーを洗った
先程の手順を思い返し、その通りに茶葉とお湯を入れる
カップに注ぐとトレイに乗せてそっと持ち上げた
リヴァイは朝食の時間までは談話室にいるらしい
廊下を進み、目的の部屋の前で足を止めるとノックをした
すぐに応答があるのを聞いてノブを掴み静かに引き開ける
視線を上げると真正面のソファに座るリヴァイが見えた

「おはようございます、リヴァイさ……リヴァイ」

まだ癖が抜けきらずに敬称をつけてしまいそうになる
言い直した自分を見て兵長が僅かに笑った

「あぁ、おはよう」

彼の静かで落ち着いた声が好きだなと思いながら側に歩み寄り、ローテーブルへとソーサーごとカップを置く
食事の配膳はオルオとウィンクルムがやってくれると言っていた
なので自分はテーブルの角を挟んで隣にあるソファへと腰を下ろす
トレイを背中側に置くとカップに手を伸ばすリヴァイを見た
特徴的な持ち方でカップを手に取り、口元へと寄せる
その動きをじいと見ていると一口飲んだ彼がこちらへ顔を向けた

「お前が淹れたのか」
「はい。分かるんですか?」
「そんなに見られるとな……」

味や香りで判断したのではなく、自分の食い入るような視線でバレてしまったらしい
は恥ずかしく思い、顔を少し俯かせるとソファに座り直した

「その……紅茶を淹れる機会があまりなくて……」

なんせ、実家はごく普通の一般家庭だから
紅茶の淹れ方すら知らなかったと思っているとリヴァイがもう一口紅茶を飲んだ
それから自身が座るソファの空いている座面にぽん、と触れる

「来い」
「はい……」

彼の叱責は軽度のものならばデコピンだと聞いていた
ビクビクしながらも言われた通りに隣に腰を下ろす
するとリヴァイがこちらの首の後ろへと腕を回しそのまま肩を抱き寄せられた
とん、と右肩が彼の体に触れて頬の辺りが一気に熱くなる

「!?、リ、リヴァイ?」
「力を抜け」
「……」

彼の言葉に肩から力を抜くと更に体が密着してしまうような感じがした
リヴァイとは既に衣類越しではなく素肌で触れ合っているというのに気恥ずかしい
男女の関係にはまだ慣れられそうになかった
顔を上げる事も出来ず、視線をローテーブルへと固定しているとリヴァイが口を開く

「上手く淹れたな」
「良かった……オルオさんに教えてもらいました」
「そうか」
「あと、お料理を少し……下拵え程度ですけど」
「そうか。掃除は俺が直々に教えてやろう」
「頑張ります」

そんな話をしている間、リヴァイの手はずっとこちらの肩を撫でさすっていた
それが暖かくて、くすぐったくて
熱の引かない頬が余計に熱くなり、両手で頬を覆った

「どうした」
「……顔が、熱くて」
「熱が出たか」
「その……リヴァイが、近いからです」

言いながらチラ、と視線を動かすと近い距離で微笑むリヴァイの顔が見える
普段は無表情に近い彼がこんな表情で自分を見つめるだなんて
もう耳まで赤くなっているのではないだろうか――
はそう思いながら瞼を閉じると頬の赤みをどうしようかと考えを巡らせた

2023.07.29 up