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診療所以外の場所へと足を向けるのは何日ぶりだろうか
多くの人々の声が聞こえ、風が頬を撫でて通り過ぎていく
少し冷たいその風を正面から浴びて、視線を空へと向けて――
次の一歩を進めようとしたところで背後から声を掛けられた



愛称で呼ばれて肩越しに目を向けるとペトラの姿が見える
彼女の側に他の女兵士がいるのを見ながらは体ごと向き直った

「ペトラ」
「出歩いて大丈夫なの?」
「あぁ、少し外の空気を吸いに来た」

そう答えるとペトラが頷き、それからこちらの服へ視線を向ける
側へ来ると首に巻くスカーフを指さされた

「どうしたの、これ」
「オルオが貸してくれた」
「?」

首を傾げる彼女に、見ないと分からないかと左手でスカーフの端に触れる
あまり、見せたいものではないがと思いながらは口を開いた

「……隠してる」

他の兵士に見えないように、身を屈めるとスカーフに指を掛けて下げて見せる
首に残る痣が見えたのかペトラが驚いたように肩を揺らした

「ちょっと……どうしたのよ、それ……!」
「見ての通りだ」
「あなたにそんなこと出来るのは……団長、よね?」
「あぁ……絞殺される寸前までいった」
「……」
「気にするな。この通り生きてるから」
「……もう、心配させないで。……愛され過ぎっていうのも大変ね」

その言葉に全くだと思いながら小さく頷く
すると今度はジャケットの襟を掴まれて、腕を通していない右側をちらりと捲られた

「大きいシャツね。誰の?」

着ているシャツは肩の位置がズレ、袖口を折り畳んでいる
襟周りもぶかぶかで、首どころか鎖骨まで見える有様だったがそこにはスカーフで隠れていた
人が見たら驚くから指の跡が消えるまでと言ってオルオが貸してくれている
良い友人を持ったと思いながら左手でシャツの胸元を軽く引っ張った

「エルヴィンだよ。自分のシャツじゃ腕が通らねぇから」
「あ、そうよね。団長って逞しいから……って、あなたが細いのよねぇ。もっと太くなりなさいよ」
「無理言うな」

今日になってようやく骨折の痛みが引いてきて、まともに食べられるようになったばかり
第一、元から多く食べる方でもないから太くなれと言われても困るだけだった
薬と水にカップ一杯のスープという生活を送って来たから怪我をする前よりも痩せたような気はするが
そんな事を考えているとペトラの手が頭に触れた
視線だけでその動きを見ると髪がわしゃわしゃと指に絡めるようにかき回される
頭が揺れ、暗い色の髪が視界を忙しなく上下左右に動くのを見ながらは声を上げた

「っ、おい」
「あははっ、あなたの髪って触り心地良いわね。サラサラで艶々じゃない」
「なんだよ、いきなり」
「似合ってるわよ、その髪型。切る前は女の子にしか見えなかったんだから」
「……どうやったら女に見えるんだ」
「だって、綺麗な顔してるから。髪を切るところを見たかったわ。団長がの髪を切ってたって、噂になってたんだから」
「はぁ……見世物じゃねぇよ」

言いながら未だに髪を弄るペトラの額を指先で押す
彼女の手が髪から離れ、手を下ろすのと同時に耳に入った足音
振り返ると行きかう兵士の間にその人を見つけてペトラへと向き直った

「連れ戻されそうだ」
「え?」
「大男が来る」
「……ミケ分隊長?」
「あぁ」
「……あっ、あなたも分隊長だったわね。話し方、変えた方が良いかしら?上官に対して失礼よね」
「いや、お前もオルオも今のままで良い」
「ふふ、ありがとう。あ、ほら……来たわよ」

彼女の言葉に振り返ればミケが三メートルほどの距離にまで近付いている
その長身のせいで一歩の幅が広いのかと思っていると間近に止まって見下ろされた


「ん?」
「そろそろ部屋に戻れ。エルヴィンが心配している」
「……」
「戻らないと自ら出てくるぞ」
「はぁ、分かった」

本音はもう少し外にいたいが、仕事の忙しい団長に余計な手間を掛けさせる訳にはいかない
空を見れば雲が出て来ているし――
部屋を出た時よりも風が強くなっているから雨が降るだろう
濡れるのは嫌だと思い、ペトラたちの方へと顔を向けた

「またな」
「うん、お大事に」

彼女の言葉に頷いてミケと共に歩き出す
男の中でも目立つ長身の彼と並ぶとその顔を見るのも大変だ
リヴァイの背丈なら距離を取らなければ禄に顔も見えないだろうか
そんなことを考えながらは風に攫われそうになるジャケットの右の襟を掴んだ




「はぁ、素敵だわ……分隊長」
「本当に……ペトラが羨ましい。彼とお話出来て」

ミケとともに立ち去るの背を見送り、ため息交じりに呟く二人
ペトラは彼女たちの方を見ると首を傾げた

「え?普通に話しかければ良いじゃない」

確かに話しかけ難い雰囲気はあるけれど
それでも声を掛ければ普通に――いや、口は悪いが――応えてくれるのに
よりも口の悪いリヴァイの側に居るせいか感覚が麻痺しているのかも知れないけれど
そう思っていると友人たちがふるふると首を振った

「無理よ。見惚れちゃって……」
「今も挨拶しようと思ったのに……一瞬目があっただけでドキドキしちゃって何も言えなかったもの」
「あははっ、本当に綺麗よね。男なのが不思議なくらい」
「……あの美貌だもの。団長でも惹かれちゃうわよね」
「仕草とかも素敵よ。貴族みたいに優雅だわ」

それを聞いて内心首を傾げてしまう
この二人は彼が元貴族だとは知らないのだろうか
でもも自分から言うことはないからここは黙っておこう
そう思っていると一人が少し考え込んでからこちらに顔を向けた

「ねえ、分隊長って女性に興味ない感じだったじゃない。元からアッチの人だったのかしら……?」
「えっ!?ど、どう思う?ペトラ」
「え、え~っと……さぁ?そんな話、したことないもの」
「でも、オルオさんと仲良いし。好き同士なのかなって思ってたのよ」
「ぶふっ!ないない、それはない!」

予想もしなかった言葉に思わず噴き出すように笑ってしまう
確かにあの二人は仲が良いが、そんな関係では――と思ったが本当にそうだろうか
思い返せば互いに肩を抱いたり、腰を抱いたり、時には手を繋いだりしていなかったか
男同士のじゃれ合い、とも見えるけれど――吃驚するくらい顔の距離が近い時も、あった気がする
ペトラはちらりとそんな事を考えながら二人を促して仕事の続きへと戻った




扉が一定の間隔で並ぶ廊下でミケと別れる
自室の扉を開けようとしたところで部下が書類を持って来て、それを受け取った
右手は使えないが左でも字は書けるだろう
書体は崩れてしまうだろうが――と思ったところで内側から扉が開かれた
ノブを握ったエルヴィンがこちらを見下ろすと中へと促すように片足を引く
その前を通って室内に入ると扉が閉められた
音を背に聞きながら机に書類を置く
片手を机について文面を眺めていると、カチッと金属音が聞こえて顔を上げた
左足を引き、背後を振り返って
見えたのは歩み寄って来るエルヴィンの姿だった

「エルヴィン」
「……」
「なぜ、鍵を――」

言葉の途中で顎に指先を添えられて上を向かされる
顔の距離が詰められて、無意識に目を閉じると間を置かずに唇を重ねられた
勢いを殺せなかったのか身体がぶつかり、よろけた拍子に左手が机に触れて書類の上を滑る
エルヴィンが踏み止まってくれたら良かったのだが、彼も姿勢が不安定だったのかそのまま後ろへと体が傾いた
背が机に触れて――ガキッと歯がぶつかり合って痛みに眉を寄せる
目を開けると間近に自分と同じように痛そうな顔をするエルヴィンが見えた
今のはどちらが悪いのかと思っていると彼が机に手を触れて体を起こす

「すまない」
「いえ……」

体勢を崩したのは自分の方だろうと思いながら起き上がらずに天井を見つめた
定量を守って薬を飲んでいるがそれでもやはり眠気は強い
今までは薬を飲んでも痛みが勝り、睡眠薬を使って無理矢理眠っていたのに
痛みが軽減した分、今度は眠気が勝り横になっていると眠ってしまいそうになる
ぼおっとしているとエルヴィンが覆い被さるように上に身を乗り出した


「はい……?」
「お前は……俺をどう思っている」
「?……どう、とは」
「俺はお前を愛している」
「……言ったでしょう、愛していると」

首を絞められた時に
途切れ途切れにしか伝えられなかったが
でも本当に愛しているのだろうか
どうにかあの手から逃れようとして言っただけなのかもしれない
だって、今までに一度も――実の両親にすら愛情なんて抱いたことはないのだから
エルヴィンに対する想いが尊敬なのか、親愛なのか、愛情なのか
自分でも分からなかった
だけど――
はゆっくりと左手を上げると彼の頬を撫でた

「そうじゃなければ……抱かれていませんよ」

言い終えて、目を閉じる
女を抱いた事のない自分が男に抱かれるなんて
そんな関係もあるのだと聞いて、知ってはいたが自分の身に起きるなんて考えた事もなかった
団長は自分が側に居ればそれだけで満足するのだと思っていたのだから
そんな事を頭の片隅で考え、重たい瞼を開く
このままでは本当に寝入ってしまいそうだ
自分の体の下にある書類に目を通してサインをしなければならないのに
急ぐ仕事ではないと言われたが、渡されたものはさっさと終わらせたいものだった
それに、風が強くなっているから窓も閉めないと――
視線の先でエルヴィンがこちらの左手に己の手を重ねている
顔の向きをずらされて手の平に彼の唇が触れた
くすぐったいーーと思ったところでカッ、と音が聞こえて、続いてワイヤーが巻き戻って
顔を窓の方に向けるのと同時に壁に靴底を触れてオルオが立つのが見えた
こちらを見ると慌てたように手で両目を覆いながら顔を背ける

「わ、悪ぃ……」
「……」
「オルオ、どうした」
「あの、団長に、書類を……兵長から」

エルヴィンに声を掛けられ、返事をしながら片手を背中側に回し、ごそごそと手を動かした
ベルトに差し込んできたであろう封筒がこちらへと差し出される

「最近、団長はの部屋にいると聞いたので……」
「あぁ。心配なのもあるが……彼は一人にさせると無理をするからな」
「そうッスね。平気な顔して、無理をしてます」

エルヴィンが自分の側を離れたのが足音で分かったのか、オルオが目を覆う手を下ろした
別に無理をしているつもりはないのだが
そんな事を考えながら机から体を起こした
視線の先で封筒を団長に手渡したオルオがグリップを握り直してこちらを見る

「今日は顔色が良いな」
「あぁ、痛みが引いてきた」
「そうか、良かった」
「早くギプスが取れれば良いが……あ、雨だ」
「雨?」
「風上から音がする。オルオ、濡れる前に戻れ」
「おぅ。じゃ、失礼します」

きちんと団長に一礼して――窓からの訪問は十分に失礼だが――アンカーを外すのと同時に体を捻り、飛び去って行った
あいつの飛び方も綺麗だなと思いながらその姿を見送り窓へと歩み寄る
オルオの姿が兵舎の向こうに消えたところで窓に手を触れてそれを閉じた
鍵を掛けて、空を見上げているとぽつ、と雨粒が落ちてくる
友人は間に合っただろうか
はそう思いながら瞬く間に暗くなっていく空を見上げて目を細めた

2022.08.21 up