15

ガチガチに固めるタイプのギプスから、ギプスシーネに交換されて少し右腕が動かせるようになった
ギプスが取り外し可能な物になってから真っ先に向かったのは浴室
骨折してからは一人での入浴が難しくていつもエルヴィンが背を流してくれた
団長自ら部下の体を洗うなんて
始めの頃は申し訳なさがあったが、彼はこちらが裸なのを良い事に色々とやってくれた
さすがに挿入はされなかったが唇や手指で――まぁ、色々と
そんな訳で風呂に入っても疲れは取れず、逆に疲労して出て来るばかりだった
よく飽きもせずに毎日甚振ってくれたものだと思い、溜息を漏らす
風呂から上がり、一息ついて
髪が乾いたところで久々に馬に乗る事にした
部下に声を掛けて自分の馬に鞍を着けてもらう
この作業は右手が上手く動かない自分にはまだ少し難しい事だった
肌に馴染んでいた制服の感触もなんだか落ち着かない
新調された外套も硬い感じがした
それらもすぐに慣れるだろうと馬の背に跨り、手綱を左手で握って馬を歩かせると蹄が地面を削る音が心地良く耳に届く
左手だけで手綱を操るのはそう難しい事ではなかった
受傷した時は馬の駆ける振動すら辛かったのだが、痛みが引いた今は全く苦にならない
騎乗したまま開け放たれている訓練施設の扉を通り抜けるとその先へと目を向けた
目に入るのは整列している訓練兵団とその先に広がる森
カッポカッポと音を立てながら馬を進めると、キースの目がこちらに向けられた


「……お久しぶりです、教官」

声を掛けられなかったら目礼だけですませようと思ったが、馬を止めてそう言葉を返す
そんな自分にキースが訓練兵の間を通り抜けて歩み寄ってきた
側で足を止めるとこちらを見上げ、そして簡易ながら固定し吊られたままの右腕へと目を向けられる
それから包帯が外された手へと視線が移るのが分かった
指先から甲、そして手首に掛けて残る傷跡
そこだけではなく腕の付け根にも残ってはいるが――そう思っているとキースが口を開いた

「死に損なったか」
「はい。俺はまだ巨人を討伐しなければならないようです」
「フッ……無駄死にはするな」
「はい。思った以上に痛かった。次は腕ではなく、頭を喰ってもらいたいものです」
「貴様が死ねば調査兵団の戦力はガタ落ちだろうな」
「過大評価をしないでください。俺は運が良いだけです」
「過小評価をするな。貴様は天才だ」
「……教官が言うのなら、そうかも知れませんが……少し地面を走らせてもらいます」
「一人か」
「お守りが必要な歳ではないですよ。失礼します」

そう言い、こちらに注目する104期へと目を向けた
キースが通ってきた隙間を馬で進めながら口を開く

「前を向いていろ。怒られるぞ」

そう言うと皆がはっとしたように前方へと向き直り、背筋を伸ばして両手を握り背へと回した
それらを見回して、ふと坊主頭の少年に目を留める
名前は確かコニーとか言ったか
は手を伸ばすと彼の肩に触れて軽く後ろへと引いた

「胸を張れ。視線は少し上だ」
「っ、はい!」
「励めよ」

言い残すと手を離して馬を駆けさせる
森の中に入ると日差しが遮られ、周囲空気が一層冷たく感じられた
だがそれが心地良く、深呼吸をすると緑と土の匂いがする
耳をすませば兵士が飛び回る音も聞こえ、少しだけ日常に戻れたような気持ちにもなった
立体機動装置で飛び回れるようになるのは二週間後とされたがその日が待ち遠しい
そう思いながら正面の補給地点へと向かった
そこは出入り口に近い場所にあるせいか、多くの兵士の姿が見える
まあ自分は補給も何もなく、馬に水を飲ませるくらいにしか使わないが
そう思いながら通り抜けようとしたところで複数の兵士がこちらに顔を向けた

分隊長」
「……ああ、お前たちか」

さすがに部下の顔を忘れるほど人に興味がない訳ではない
側に来た七、八人の男たちは自分が分隊長になった時に任された部隊の中にいた兵士たちだった

「お怪我は大丈夫ですか?」
「あぁ。お前たちは訓練か」
「はい。少しでも分隊長に近付ければと……」
「……俺の隊は何人来ている」
「え?少しお待ちを……おい、皆集まれ!」

彼がそう声を発すると周囲に散らばっていた男女が集まり、そのまま整列をした
それを見回すとこれくらいならば大丈夫だろうと思い、集めた男へと視線を落とす

「今から一時間、好きに動け。改善する部分があれば指摘する」
「っ……はい!ありがとうございます!」
「俺は馬で見て回る。一時間後にここに戻れ」
「はっ!」

全員が揃った動きで敬礼をし、立体機動装置のグリップを握って思い思いの方向に飛び去って行った
重なり合うその音を聞きながら手綱を握り直して馬を駆けさせる
頭上を飛び越えたり、前方を右から左に、左から右に飛び交う兵士たち
巨人模型が倒れる音を聞きながら木々のざわめきを聞いて目を細めた
あまり外には出ない方だが森の中に居るのは好きだと思う
耳に入る自然の音が好きなのだろうか
そう思いながら土が見える道を馬で進んだ
三十分ほど森の中を掛け、途中にある補給地点で馬を休ませる
水を与え、それを飲むのを待ちながら右腕を摩った
殆ど痛みを感じなくなったが、天候によって痛む事がある
今日は痛む日のようだ――と思ったところで朝に薬を飲んだ切りだったのを思い出す
ポケットに手を入れるが、そこに入れていた薬は飲み過ぎるからとエルヴィンに全て没収されていた
飲むためには彼の元に行かなければならないが、今は兵士たちを見ていなければならず――
まあ、我慢出来ない程ではないかと水を飲み終えた馬に再び騎乗した
馬を走らせ、音で兵士の位置を確認して
そんな事をしていると若い男の声が聞こえて意識をそちらに向けた
細い枝を折りながら落下してくるのは金髪の髪の小柄な少年
あれはアルミンか――と思いながら片足を鞍に乗せて腰を上げた
どんな動きをしたのか、体勢を崩してアンカーが外れたらしい
回る視界では次のアンカーも撃てないだろうと落ちていく先へと馬を走らせると立ち上がり、その体を抱き止めた
だが不安定な足場だから踏み止まれずにそのまま後ろへ倒れるようにして地面へと落ちてしまう
当然ながら受け身を取るが背を中心に――彼の体の下になった右腕にも痛みが走った

「っ……!」
「あ……あぁ!さん!」
「……なにやってんだ、お前は……」
「すみません、飛び出してきた鳥に驚いて……」

言いながら慌ててこちらの体の上から避ける彼
腹部にめり込んだ立体機動装置の凹凸が一番痛かったと思いながら起き上がるとふうと息をはいた
そんな自分にアルミンがぺこぺこと頭を下げる

「すみません!ごめんなさい!怪我をしているのに……!」
「いや……殆ど治ってる」
「でもまだ固定をして……今ので痛めたんじゃ……」
「痛ぇのは腹だな。思いっきり立体機動装置が食い込んだ」
「え?あっ、そうですよね……」
「ま、打身だけだ。気を付けろよ、104期」

そう言い、立ち上がるとぱっぱと左手で体の背面を払った
側へと戻って来た馬の首を撫でるとその背へと跨る
心配そうにこちらを見る後輩に対し、は南西方向を指さした

「?」
「捜してるぞ」
「え?」
「お前の幼馴染の二人が。名前を呼んでる」
「あ、はいっ。あの、本当にありがとうございました」
「……励めよ、訓練兵」

そう返すと馬に合図を送り、その場を離れる
まだ一時間経っていないからもう一周しようか
少し無理をして腕の痛みは酷くなってしまったが、怪我をするのを見ているだけなんて先輩として見過ごすことは出来ず

「痛ぇな……」

は小さくそう呟き、目にかかる髪を首を振って除けると前方へと顔を向けた




一時間前と同じように自分の前に整列する兵士たち
は彼らを見回すと自分から見て右端手前の男を指さした

「お前からだ」
「っ、はい!」
「動きは良いが刃の構えを直せ。もう少し外側に構えろ」
「了解しました」
「お前。女だから仕方ねぇとは思うが、着地する時の足首の向きに気を付けろ。挫くぞ」
「はい!」
「お前、飛ぶ時に脚を内側へ入れろ。空気の抵抗で速度が落ちる」
「はい、気を付けます!」
「お前は怖いのか知らねぇが、目を閉じるな。下手したら巨人の口に突っ込むぞ」
「は、はい!」

そんな感じで一人一人、集まっている兵士に声を掛けていく
他の分隊まで混ざっていたようだがまあ良いかとその兵士たちにも癖とか、危ないところを指摘した
そして最後に残った二人を見て思わず溜息をもらす

「オルオ、ペトラ。飛び回っているなとは思っていたが……」
「面白そうな事してたから、さ」
「ふふっ、が分隊長らしい事してるなんて」
「……お前たちには何も言う事はない」
「褒め言葉として受け取るぞ」
「嬉しいわね」
「……今日も見事な立体機動術だった。兵長のところに戻れ、暇人ども」
「おいおい、暇人じゃねぇよ。真面目に自主訓練に来てたんだ」
「そうよ、今日は任務も無いし」
「はぁ……掃除でもしてろよ」

そう言い、口元を手で覆うと頬を指先で摩った
こんなに人前で話したことがあるかと思うくらい、口を動かした気がする
疲れたと思っていると兵士たちがこちらの背後へと次々に視線を移していった
オルオがちょいちょいとこちらの後ろを指さすのを見て――聞こえた足音に思わず手綱を握る手に力が入る
さく、と雑草を踏んで立ち止まる音が斜め後ろで聞こえた


「はい、エルヴィン」

言いながらさすがに見下ろすのはと思い、馬を下りる
その振動で右腕が痛み一瞬息を止めてしまった
それでも細く息をはいて、エルヴィンへと向き直る

「何か……?」
「薬を」

そう声を掛けると彼が応えながらポケットに手を入れた
差し出されたのは鎮痛剤の包み
片手には水筒を持っていて、薬を受け取ると水筒の蓋が開けられる
薬の効果が切れる頃だと来てくれたのだろうか
今日は一日中仕事があり、 訓練施設 ここ へ来る時間なんて無かっただろうに
そう思いながらも薬の包みを開けて二つの錠剤を口に入れた
粉っぽさと苦味にさっさと飲みたいと水筒を受け取ろうとする
だが指先が触れる前にそれが持ち上げられ、エルヴィンが口を付けて――
それを見上げていると、後頭部に手が触れて彼が身を屈めた
近付く顔に驚く間もなく唇が重ねられて――

「っ――」

団長の登場で敬礼の姿勢を取っていた兵士たち
彼らの目が驚きに見開かれ、抑えられない悲鳴のようなものが上がった
それを聞きながら口内へ移された水を飲み込む
同時に薬が喉の奥へと送られて、少し引っかかるのを感じて眉を寄せた
顔が離れるのを待ってから彼の手にある水筒を取り、二、三口水を飲む
停滞していた薬が流れ、短く息をはくと口元を拭った

「エルヴィン……」
「どうした」
「部下の前ではやめてください」
「私たちの事は皆が知っているだろう」
「そうなのですがね……同期も、いるんですから……」

チラリとオルオとペトラの方を見ると、オルオは困ったように笑い、その隣でペトラがまたしても目をキラキラとさせていて――
前々から思っているが彼女のあの反応はなんなのだろうか
そう思いながらもう一口水を飲み、エルヴィンの手から水筒の蓋を受け取った
蓋を閉めて、紐を手首に掛けて――さて戻ろうかと思っているとエルヴィンが自分の馬に乗ってしまう
手綱を右手で握ると左手が差し出された
相乗りをして行こうという事か
男二人は重いだろうが、走らせなければ大丈夫だろう
そう思い、左手を触れて馬上へと引っ張り上げてもらった
馬の背に跨るようにして座り直すとエルヴィンの手がこちらの体を挟むようにして手綱を持つ

「……まあ、そう言う事だ。訓練に励め」
「はっ!ご指導ありがとうございました!」

リーダー格なのか――そう言えば、副隊長を決めていない――一人の男がそう言うと皆が敬礼をした
他の分隊の兵士と同期も混ざっているが、もう気にしないでおこう
そう考えたところでエルヴィンがゆっくりと馬を歩かせた
広場から少し離れたところで彼の手がこちらの肩に触れる

「……土が付いている。何があった」
「訓練兵が落ちてきたので受け止めて……その時に、落馬しました」
「無理をするな。……見捨てられないというのは、分かるが」
「受け身はとったのですが腕を痛めて。助かりました」
「そうか……復帰が遠のくぞ」
「……あと二週間だったのですが」
「それからリハビリだろう。任務に出るのはまだ先だ」
「まあ、そうですが」
「部屋に戻ったら休んでくれ。俺はお前の部屋で仕事をする」

それを聞いては小さく溜息をもらした
エルヴィンの胸に寄り掛かるようにして体重を預けると顔を傾けて彼を見る

「俺が怪我をしてからずっとじゃないですか。いつまで団長室を空けておくつもりです」
「分隊長の兵舎にいる方が一度に仕事を済ませられる兵士が多い」
「住み込んだりしないでくださいよ」
「それは良いな。だが少し狭いか」
「……少しは離れてください。仕事は一人でしたいので」
「つれないな」

言いながら彼の手が頬に触れてそっと撫でられた
男らしいその手に、自分の手を重ねると目を細める
どうやら自分はエルヴィンの手が好きなようだ
冷たい自分とは違って温かく、大きくて――
でもあまり触れられては体温が上がるのがバレてしまいそうで
はそう思いながら彼の手をそっと頬から離した

2022.11.06 up