14

複数人の人が居るというのに耳が痛いほどの沈黙
エルヴィンが「嫌だ」と一言発してから誰も何も言わなかった
リヴァイを始めとした特別作戦班の兵士はじっと団長の手元に注視している
また彼がグリップを握らないか、それを警戒しているのだと分かった
次に握った時には自分が削がれるのではないだろうか
そんな、ピリピリとした空気の中でコツ、という音が響いた
それはエルヴィンが足を前に踏み出した音で――
はっとして彼を見ると団長がゆっくりとこちらへ歩み寄って来る
視界の端でリヴァイが片手のグリップをクルリと回すのが見えた
これは、彼の独自の構え方では
リヴァイ兵長は刃を逆刃で持って戦うと、聞いた事がある気がする
そう言えば、ここへ来る途中の討伐の時にも彼はあのように構えていなかったか
という事は、ここからはリヴァイも本気を出すのか
非常に危ないと思っているとそれを察したのかハンジも中へと入って来た
いざとなった時には――彼女、も戦ってくれるのか

(ハンジ分隊長って、女の人、だよねぇ?声高いし、睫毛長いし、美人だし。胸も、ある、気がする……じゃなくて、団長が――!)

脳内で忙しなく考えている間にもエルヴィンはこちらへと近付いてきていた
向かう先は紛れもなく自分で――
片手しか使えないが、刃を抜いた方が良いのか
でもこんな状況とはいえ、恋人に対して刃を向けるなんて
自分には出来ない――と思ったところで団長が目の前で足を止めた
その手の動きを見る為に顔を俯かせていると不意に彼がその場に跪く
視界にエルヴィンの顔が見え、驚いて身を引こうとしたがそれよりも先に左手を握られた
強く握られた訳ではないのに不思議と動かす事が出来ない
こちらを見上げる薄い青色の瞳を見つめ返していると彼がゆっくりと目を瞬いてから口を開いた


「っ……は、はい?」
「別れるなんて言わないでくれ」
「……団長として、お仕事をしてくれるのなら別れません」
「…………分かった。君が望むのならそうしよう」

自分が望む以前に、壁外なのだからきちんと指揮を執り、指示を出して欲しい
そんな事を考えていると握られている左手が彼の口元へと寄せられた

「君が居ないと俺は生きる意味を失ってしまう」
「っ……」

物語に出て来そうな言葉に目を瞠る
そんなにも自分の事を想ってくれているのか
まだ兵士にもなっていない戦果も乏しい、ただの訓練兵だというのに
夢のようで、でも現実で
彼からの愛情は過激で、時々――そして今も――怖く感じる事がある
でも、それでも幸せだ――と思ったところで手の甲にエルヴィンの唇が触れた
皆の視線を感じて一気に頬の辺りが熱くなる
無意識に指に力を籠めると彼が目を開けてこちらを見た

「行ってくる」
「……はい。私はこの腕では何も出来ないので……休んでいますね」
「分かった」

言い終えて立ち上がったエルヴィンがハンジの横を通り抜けて幕を出て行く
彼の姿が見えなくなったところでふうとリヴァイが息を漏らすのが分かった
振り返ると兵長が構えていた手を軽く持ち上げ、目を細める

「チッ……替えねぇと駄目だな」
「はぁ、助かった……」

斜め後ろでオルオがそう呟き、折れた刃を捨て、脇のホルダーにグリップを納めた
皆、刃が折れているから全て取り替えなければならないだろう
本当にご迷惑を――と思っているとハンジが隣に来て肩を抱かれた

「ありがとう、
「いえ……」
「エルヴィンもやる気になったし……リヴァイ達は刃の補充をしないとね。君は休んでいて欲しいんだけど……残念ながら診療所がこんな状態だね」
「大丈夫ですよ。どこか、その辺に立っていますから」
「何言ってるの、こんな大怪我をした子を立たせられないよ。モブリット、休む場所を作って」

彼女の言葉で幕の外に居た副隊長が頷き何処かへと走り去っていく
その足音を聞いていると兵長が側に来てこちらを見た

「あ、兵長……今回も、ご迷惑をお掛けしました……」
「いや……てめぇが来なかったら、班員がやられていた」
「そんな、皆さん精鋭なのに……」
「巨人相手にはな。対人は……相手がエルヴィンでは厄介だ」
「……」
「ガキ、今は休め。お前たち、行くぞ」
「「「「はっ」」」」

リヴァイの言葉に四人の部下が返事をして幕を出て行く
その姿を見送っているとモブリットが入って来た
彼の他にも二人の男女の兵士がいてそれぞれが一つずつ箱を抱えている
中の惨劇に驚きながらも、比較的無事な場所に箱を並べるとこちらへと顔を向けた

、ここで休んでくれ」
「ごめんね、こんなのしか用意できなくて」
「ありがとうございます。横になれるだけで十分です」

本来ならば、常に巨人を警戒していなければならない壁外
そんな場所で、兵士という立場で休ませてもらえるなんて
申し訳ないがありがたく、は木箱に腰を下ろした
まだ腕や肩には強い痛みがある
早く鎮痛剤が効いてくれないだろうか
そう思いながらゆっくりと横になると小さく溜息を漏らした
切り裂かれた庇を見上げ、自分の頬に指先を触れる
気のせいか、熱っぽいような気がした
確認するように額に左手を乗せているとハンジが身を乗り出してこちらを見下ろす

「大丈夫?」
「はい……熱っぽいかなと思って」
「どれどれ……あぁ、熱いね。えぇと……あ、あった」

こちらの首筋に触れた彼女が側を離れ、ごそごそと物音を立ててから戻ってくる
ぱさりと体に薄手の――でも質感はごわごわとした毛布が掛けられた
あまり質の良くない物だが、寒気を感じる自分にはありがたい
左手で毛布を掴み、口元まで引き上げるとほっと息をはいた

「すみません。ありがとうございます、ハンジ分隊長」
「ううん。……熱のことは、エルヴィンには内緒ね。また戻って来ちゃいそうだから」
「はい。さっき鎮痛剤を飲んだので……それで熱も下がりますよ」
「うん。君はこのまま休んで。モブリット、刃とか残骸を片付けて、私はエルヴィンの方に行く」
「はい」

そんな会話を最後にハンジが外へと行ってしまった
モブリットと二人の兵士が手分けをして周囲の片づけを始める
首を傾けてその様子を眺めるが、落ち着いてみるとなんとも悲惨な光景だった
折れた刃と散乱する木片
この場所はもう診療所としては使えないのでは
幕も随分と風通しが良くなってしまい、人の目から隠すという意味を為していない
そして、その穴から二人の少女が覗いて――というか顔を突っ込んでこちらを見ていた

「ふふっ」

思わず笑ってしまうと、側で刃を片付けていたモブリットが顔を上げてこちらを見る

「どうした」
「あの、友達が……」

言いながら彼女の方を見ると、彼もそちらへ顔を向けた
そしてぷふっと小さく笑みを零すとその訓練兵に入るようにと声を掛けてくれる
それを聞いて顔を引っ込めると出入り口の方から入って来て自分の側にしゃがみ込んだ

、大丈夫?」

可愛らしい顔立ちで眉を下げて、こちらの顔を覗き込む少女
彼女はいつだって、皆の心配をしてくれる優しい子だった
自分も何度も手当てを受けたなと思いながら小さく頷く

「クリスタ、大丈夫だからそんな顔しないで」
「でも辛そう」
「そう?」
「もしかして、熱があるの?頬が赤いし、目が潤んでるよ」
「う……」

誤魔化そうと思ったが、それは無理か
いつも彼女と行動を共にするユミルがその傍らに立ち、じいと見下ろしている
ここで熱はない、なんて言おうものならどんな辛辣な言葉を浴びせられるか
彼女も優しいのだと分かっている
こちらの身を案じて、厳しい言葉を使うのだと入団三日目には理解していた
だからこそ、ここは誤魔化さず――

「うん、怪我のせいか熱が出ちゃって。さっき鎮痛剤を飲んだから下がると思うんだけど」
「チッ。水とタオル……壁外でもそんくらいあるだろ。持ってくる」
「あ、ユミル。私も――」
「お前は居てやれよ。すぐ戻るし……もこんな場所に一人じゃ落ち着かないだろ」

言い置いてさっさと幕を出て行ってしまうユミル
その姿を見送るとはクリスタへと視線を移した

「ユミルは優しいね」
「っ、うん、誤解されちゃうけど優しいんだよ。……には分かるんだね」
「分かるよ、友達だから」

そう言うと彼女が嬉しそうに微笑む
やはりクリスタは笑っている方が可愛らしいなと思いながら痛む右肩を摩った
噛み付かれた方より肩の方が痛みが強い
追加で薬が欲しいなと思っていると友人の手が頬に触れた

「痛いの?」
「ん……追加で、薬飲んじゃ駄目かなぁ」
「駄目だよ。辛いだろうけど……我慢してね?」
「う~……うん」

そんなに愛らしい顔と表情で言われては諦めるしかない
まだ訓練兵とはいえ兵士になるのだからこれくらいは耐えなければ
痛いけど、と情けない事を考えているとユミルが桶を持って戻ってきた
周囲を見回し、角が削がれている小さな木箱を足で移動させるとそこに桶を置く

「クリスタ」
「うん」

声を掛けられて、クリスタが水の中に入れられていたタオルを取り上げる
余分な水を絞って適度に広げるとそれをこちらの額に乗せてくれた
ひんやりとした気持ち良さに目を細め、思わず息が漏れる
助かったと思いながらは目をユミルへと向けた

「ユミル」
「ん?」
「団長、どうだった……?」
「普通に仕事してるみたいだな。ミケ分隊長が良かった、って呟いてるの聞こえたぞ」
「そ、そう……」
「ま、なんか大変だったみたいだけど……上手く納めたな」
「あはは……なんとか、ね……」

別れる、と一言言っただけなのだが
これは恥ずかしいから内緒にしておこう
そう思っているとユミルが自分が横になっている木箱に腰を下ろした
この二人にはなにか他にやる事があるのでは
運んできた荷物を下ろすとか、所定の場所に積み上げるとか
訓練兵ならば色々とあるだろうと思い、もぞと身動ぎをしながら彼女に声を掛けた

「二人は、やる事ないの?私は一人でも大丈夫だから……」
「なに言ってんだよ。サボってるに決まってるじゃねぇか」
「え」
「ち、違うよ、を看ていたいって、ちゃんと許可を貰って――」
「そうそう、お前の看護を理由にのんびりさせてもらうのさ。疲れたからな」
「……ユミル、モブリットさんがいるんだから……」
「あ、聞かなかったことにしてください」
「はは……まぁ、気持ちは分かる。まだ訓練兵だからな……聞かなかったことにしよう」
「助かります」

そう言い、ユミルが無遠慮に人の脚の上に寝転がる
慌ててクリスタが起こそうとしているが痛いのは腕だからと止めておいた
兵長を初めとした特別作戦班に守られていた自分とは違い、彼女たちは一人で馬を駆けさせたのだから
巨人が集まってくるからそう長い時間はここにはいられないが、少しだけでも休んでもらおう
はそう思い、毛布越しにユミルの体温を感じながら目を閉じた

2022.11.12 up