15

帰りは馬車に乗せてもらい、壁外から帰還した
ミカサに付き添われ――というか強引に診療所へと連れて行かれ、傷を診てもらって更に処置を受けて
そして今、は傷を濡らさないように入浴を終えて自室へと戻ってきたところだった
扉を閉めると自然と肩の力が抜ける
同時に眠たくもなり、目元を擦ると隣室と繋がる扉へ目を向けた
疲れているからすぐにでも横になって休みたいところだが、どうやら隣のエルヴィンの私室には来客がいるらしい
そちらの部屋にあるベッドで休むのは無理か
休憩室に行けばソファがあり、そこで横になる事は出来るが誰かが入室するかも知れない
中で人が寝ていたら相手を驚かせてしまうだろう
鍵を掛けてしまえば独占できるが皆が使う休憩室を占拠する訳にもいかないし
来客が帰るまで我慢しようと椅子に座り、髪を纏めていたタオルを取る
ばさりと濡れた髪が背へと零れ落ち、左手だけでそれを拭いた
長く伸ばしているから時間が掛かる作業だが、今日は右手を使えないからいつも以上に大変だろう
それでも根気よく拭いて、ブラシで梳いて――
少し濡れているがもう良いかとタオルを洗濯物の籠に入れた

(さて……どうしよう?)

肩や腕は鎮痛剤が効いていて痛みは強くない
熱の方も一時的で壁内で診療を受けた時には平熱にまで下がっていた
教官に提出するようにと言われている報告書も既に書き上げている
明日から二日間の休みだという事は、もう何もすることがないという事で
やっぱり横になりたいな、と思ったが隣室の話し声は未だ続いていた
こんなに長く話をする相手は誰だろう
声を聞いて、聞き覚えのあるそれにミケだと分かった
無口な人だと聞いているが、結構話すではないか
そう思いながら視線を何気なく机の方へ向けると読み終えた本が目に入った
片付けておこうと厚みのあるそれを手に立ち上がり本棚へと歩み寄る
基本的に書庫からの貸し出しで済ませているのだが、時々町で気に入った本を買う事があった
これもその内の一冊で、繰り返し何度も読んでいる
その重量のある本を棚に並べようとして――するりと指が滑り、慌てて受け止めようとして右手を出してしまった

「いたっ――」

肩が痛み、そして本は巨人に噛まれた傷の上へと角を支点に落ちてきて
感じた痛みに思わず声を上げてしまった
ゴトッと足元で本が床に落ちた音を聞きながらゆっくりと膝を折る

「うぅ……」

右腕を抱えるように蹲り、痛みをやり過ごしていると背後でガチャリとドアが開けられた
隣室からの蝋燭の灯りが部屋へと入り、僅かながらに室内が明るくなる

?」
「……あ、エルヴィン……」
「大きな音が聞こえたが」
「本を落としてしまって。大丈夫ですよ」

そんな言葉を交わしている間にも彼が側に来てこちらの肩に手を触れた
隠すように抱えている腕に気付くとそっと引かれ、そして――
寝衣に滲む血が目に入った
どうやら角が当たったせいで傷口が開いてしまったらしい
角の部分が当たったから――と思ったところでエルヴィンの腕にひょいを抱え上げられてしまった

「っ、エルヴィン?」
「診療所へ」
「歩けますが……」

ズキズキと痛むが、脚は無傷なのだから歩く事は出来る
それなのにエルヴィンは放してくれず、隣室へと顔を向けた

「ミケ」

そう声を掛けると寡黙な分隊長が戸口に立つ
少し驚いた様子だが彼は何も言わずに団長へと顔を向けた

を診療所へ連れて行く。すまないが待っていてくれ」
「分かった」

大した事はないのに、分隊長を待たせてしまうのは申し訳ない
やっぱり一人で――と思った時にはエルヴィンは廊下へと出ていた
カツカツとブーツの音が響き、人を抱えているというのに器用に扉を開けて外へと出る
ひゅるりと吹き抜ける風が防寒には向かない寝衣をすり抜けて寒さに首を竦めた
壁外での任務があったせいか、定時を過ぎても外は人通りが多い
その殆んどが兵士で、皆の注目を集めるのが分かった
訓練兵を団長自らが腕に抱いて運ぶなんて
彼らの視線に耐えられずに少しだけ顔を伏せる
右腕に目を向けると、途中の篝火に照らされて滲む血の範囲が広がっているのが見えた
壁外での処置は意識を失っている間に終わり、壁内での処置は消毒とガーゼの交換だけ
縫うのは痛いだろうが、噛まれた痛みよりはマシなのだろうか
不安を覚えながらもエルヴィンが診療所へと入り、通り掛った兵士へ声を掛けた

「医師の手は空いているか」
「団長っ……はい、こちらへどうぞ」

振り返った兵士が驚いた顔をしながらも奥へと案内してくれる
幾つかの扉が並び、その内の一つを開くと中から蝋燭の灯りが漏れた
患者を診る為に多くの蝋燭が灯されていて廊下よりも随分と明るい
エルヴィンが自分を抱えたまま中へと入るとカルテを整理していたらしい医師がすぐに声を掛けてくれた

「どうしました」
「彼女の傷を診てほしい。負傷箇所から出血している」
「あ、あの、傷の上に本を落としてしまって……」
「分かりました。こちらへ」

手で示された椅子へと歩み寄るとそこへ腰かけるようにして体を下ろされた
医師に見せる為に袖を捲ると血に染まった包帯が露になる
すると側で様子を見ていた兵士が包帯を解いてくれた
傷の保護をしていたガーゼが外されると出血している場所が目に入る

「縫合が開いてしまったようですね。縫い直しましょう」
「う……は、はい……」

やはりそうなるか
痛いだろうなと気落ちしているとエルヴィンの手が肩に触れた

?」
「……大丈夫です。ちょっと、怖いなと思って」
「私が側に居る」

言いながらその場に膝を付くと抱き寄せられてしまう
人前で何をと体を離そうとするが、肩や腰を抱く彼の力は強くて自分の力では敵わなかった
室内にいた数人の兵士が驚いたように息をのむのが分かる
だが処置を優先してくれるようですぐに準備が整えられて血が拭われるのを感じた

「では、縫合します。力を抜いて、動かないように」
「はい……」

すぐさま逃げ出したいところだがそんな訳には行かない
はぎゅっと目を閉じるとエルヴィンの肩に額を押し付けた
意識を保っている状態での処置はやはり痛みを伴う
腕を引いてしまいそうになるのを堪え、長く感じる時間をなんとか耐えた
傷口を消毒され、ガーゼが当てられて包帯が巻かれて

「終わりました」

医師のその言葉に肩に入っていた力が抜ける
同時に細く息を吐き出すとゆっくりと顔を上げた
するとずっと自分を見つめていたらしいエルヴィンと視線がぶつかる

「よく耐えた」
「はい……」

少し貧血っぽく、頭がふわふわする
は目を閉じると軽く額を擦り、それから医師の方へと向き直った

「ありがとうございました」
「いいえ。お大事に」

その言葉に頷き、エルヴィンに手を引かれて立ち上がる
そのまま扉の方へと向かうがなんだか床がフワフワしているような感じがして歩き難かった
転ばないように足が横へとずれると、気付いた団長がこちらを振り返る

、大丈夫か」
「はい。ちょっと貧血っぽいだけです」
「先に言ってくれ。倒れてしまうだろう」

言いながらここへ来た時と同じように抱え上げられてしまった
申し訳ないし、恥ずかしいが上手く歩けないから今は運んでもらおう
そう思い、包帯越しにそろりと傷に触れた
傷が塞がるまでは訓練も禁止されている
卒業間近だというのに体が鈍ってしまうなと思いながらふと寝衣に付着した血を見た
二着しか持っていない寝衣の内の一着
もう一着は洗濯をするつもりでいて、これも着られないとなると今夜は何を着て眠れば良いのか
私服で寝るしかないかなと考えている間にも部屋へと戻ってきて体が下ろされた
隣室ではミケが話の続きをする為に待っているだろう

「ありがとうございました」
「……少し待っていてくれ」

そう言い、エルヴィンが隣室への扉を開けて部屋へと戻った
待っていてくれ、とはどういう事だろう
話をする場所を移すのだろうか
そうしてくれると自分はベッドで休めるからありがたいのだけれど
そんな事を考えているとエルヴィンが何かを持って戻ってきた

「?」

何だろうとその手元に視線を向けて、彼の寝衣だと分かる
しかも上だけ――と思っているとそれがこちらへと差し出された

「これを」
「え?」
「血が付いていては気になるだろう」
「はい……すみません、お借りします」

私服を着て寝ようと思っていたが、こちらの方が寝心地は良いだろう
そう思い、ありがたくそれを受け取った
女性が着替えようとしているのにエルヴィンは退室しようとしないが、もう気にしないでおこう
今更下着姿を見られても――と思ったがやはり恥ずかしいものだった
脱いだものを椅子の背もたれに掛け、エルヴィンの寝衣に袖を通す
釦を留めながらふと視線を落とすと太腿や膝の辺りに点々と血が付いているのが見えた
これは下も脱がないと駄目か
エルヴィンとは体格差がかなりあるから裾が長く、これならば下着が見える事もないだろう
寝相が悪いと丸見えになってしまうが、幸い自分は淑やかに眠れるようだし
そう思い、ズボンの方も脱ぐと軽く畳んで先ほどと同じように椅子の背もたれに重ねて置いた
洗濯は諦めて破棄しようと思っているとエルヴィンが隣室へと続く扉を開く
そちらにはミケが――と思ったのだが、室内には誰の姿もなかった
あれ、と内心首を傾げるとエルヴィンがこちらを振り返る

「ミケは談話室で待たせている。俺も向こうで話をするから眠ると良い」
「あ……すみません、ありがとうございます」

着替えを取りに行った時にそのような話をしたのか
思えばあの後、廊下から足音が聞こえたような気がする
そうなる事を望んではいたが、ミケに申し訳ないなと思っているとエルヴィンがゆるゆると首を振った

「構わない。初めての壁外で……怪我までさせてしまった」
「っ、これは私のせいですので。えっと、あの、ミケさんが待っています、よ?」

また泣かれてたまるかと話を変えると彼が頷き、机の引き出しから何かを取り出して扉へと近付いた

「遅くなる。気にせずに休んでいてくれ」
「はい……無理しないでくださいね」

こちらの言葉に彼がふっと笑い、扉を開けて廊下へと出て行く
扉が閉められ、それからガチャリと音を立てて鍵の摘みが回った
先程引き出しから取り出したのはこの部屋の鍵だったのだろう
誰かが訪ねて来ても応答がなく、鍵が掛かっていれば他の場所に捜しに行ってくれるか
来る人には申し訳ないが、今日だけはゆっくり眠りたかった
精神的に疲れているし、鎮痛剤を飲んでいるとはいえ腕の痛みを感じるし
ベッドに腰を下ろすと室内履きを脱いで毛布の中に潜り込む
脚に触れる毛布の感触が気持ちよく、右腕を除いた手足を伸ばすと天井へと視線を向けた

(……エルヴィンも疲れてるのに……)

兵士を先導する為にずっと先頭を駆けていた彼も疲労は相当だろう
でも団長という立場では睡眠時間を削って仕事をしなければならないのか
戻ってくまで起きていて労いの言葉をと思ったのだが、瞼が勝手に下りて来てしまう
何度か大きく目を開けて、と無駄な努力をしても眠気には敵わず
は起きていたいという気持ちとは裏腹にゆっくりと眠りへ落ちていった

2023.02.21 up