16

蝋燭の灯りで仄かに照らされる室内
はクッションに背を預けるようにしてベッドに座っていた
身に着けているのは自分の体には大きすぎる男性用の寝衣の上衣
その袖を何度も折り畳んだ先から出る手で瞼を擦り、頬に掛かる髪を避ける
瞬きをすると先ほどから読んでいた本へと再び視線を落とした
だが文字を読もうとしているのに自然に瞼が下りてくる
軽く頭を振り、覚醒しようとしていても気付けば目を閉じていた
かくんと頭が右へと傾きはっとして目を開ける
ふうと溜息を漏らすと左手でぺしぺしと頬を叩いた
小さな痛みを己に与えてみるがやはり眠気は強い
初めて壁外に出て一体とは言え巨人を討伐したことで心身共に疲れ切っていた
更に腕の怪我を再縫合し、その痛みを抑える為に飲んだ鎮痛剤の副作用
この眠気はそれらのせいなのだろう
さっさと眠ってしまえば良いのに、は意地でも起きていようとしていた
同じく壁外に出て、日が沈み休む時間になっても未だ仕事をしているエルヴィン
先に休んでいるようにとは言われたが待っていたかった
「お疲れさまでした」と一言声をかけたくて
壁外に出た直後だから色々と話があるのだろう
疲れていても休めない彼のことを想うが、流石に限界を迎えてしまった
普段ならば眠っている時間はとおに過ぎている
もう日付も変わり、普段は兵士の行き来が多い窓の外も物音一つ聞こえずしんと静まり返っていた
ここまで頑張ったが今回は諦めよう
は本を閉じるとそれをベッドサイドの棚に置いた
蝋燭を消そうと思ったが、残りは少なく放っておいても一時間以内に自然と消えるだろう
そう思い、怪我をしている右腕を左腕で抱えながらずりずりとベッドに体を横たえた
重たい瞼を無理矢理開けるとカーテンの僅かな隙間から夜空が見える
ぽつりぽつりと星が光るのを見てから扉の方を見るように首を回した
エルヴィンはまだ戻って来ないのだろうか
瞬きを繰り返すたびに瞼が重たくなり、とうとう閉じたまま開けられなくなってしまった
明日の朝になったら昨日はお疲れさまでしたと声を掛けよう
はそう思い、迫りくる眠気に抗わず意識を手放した




ガチリと開錠する音がやけに大きく廊下に響く
室内で休む彼女の眠りを妨げてしまったのではないだろうか
そう思いながらゆっくりとノブを捻り、引くのと同時に扉がキイィと軋んだ音を立てた
室内は暗く、ベッドサイドに置かれた燭台の蝋燭は燃え尽きている
直前まで火が灯っていたのか蝋の匂いが強く漂っていた
それを感じながら静かに室内に足を踏み入れる
扉を閉めると訪ねて来る者もいないだろうと鍵を掛けた
背後を振り返ると視線の先にはベッドが一つ
そこで眠っているのは今日――いや、日付が変わったから昨日――初めて壁外へと出た訓練兵の少女だった
足音を立てないようにして側に歩み寄るとベッドサイドのテーブルに燭台を置く
風圧に頼りなく揺れる灯りに照らされている彼女――の寝顔を見た
普段見るのと変わらない表情に怪我の痛みが薬で抑えられているのだと分かる
全く痛みがない、という訳ではないだろうが強い痛みも感じていないだろう
安堵すると衣装棚へと歩み寄り、扉を引き開けた
中から取り出すのは寝衣の下衣
揃いの上衣は寝衣を怪我からの出血で汚してしまった彼女に貸していた
上は裸で寝ようとジャケットを脱ぎ、ベルトを外す
音を立てないように着替えを済ませると毛布を捲り上げてベッドに腰を下ろした
ギシ、と木枠が軋む音を立てるとが僅かに身動ぎする
起こしてしまったか――と思ったが微かな寝息は途切れずに続いていた
大丈夫かとほっとして室内履きを脱いでベッドに横になる
毛布を引き上げようとしたところでが身動ぎをした
もぞ、と動いて体を横に向け、左腕が動いた
衣類を身に着けていない素肌に彼女の手が触れてするりと撫でられる
くすぐったさを感じているとその手が首元に移動したところで動きを止めた
それから寄り掛かるようにしてこちらに身を寄せる

「お疲れ、さま、でした……」

むにゃむにゃと漸く聞き取れる言葉でそう言い、すぐに寝息をたてる
寝言なのか、それとも一瞬だけ意識が覚醒したのか
エルヴィンは小さく笑うと彼女を起こさないように毛布を体に掛けた
右手でそっとの頬を撫で、親指で唇をなぞる

「……

眠っている相手に、聞こえてはいないと分かっていながら名を呼んだ
呼吸を繰り返す彼女の寝顔を見て頬に掛かる髪を指先で除ける
くすぐったかったのか形の良い眉が僅かに寄せられたが目を開くことはなくそのまま眠り続けていた
彼女の体には大きすぎる男物の寝衣
釦を留めていても広い襟ぐりから素肌が露になっていた
その首へと顔を寄せると喉に口付ける
甘く感じる肌を吸い、ゆっくりと顔を離した

「愛している」

囁くようにそう言い、目を閉じる
するとが身動ぎをして位置的に彼女の腕がこちらの頭を抱えるような格好になってしまった
寝相でそうなっただけで、意図的ではないのだろうが――
だが普段とは逆で抱き抱えられるというのも悪くはなかった
右腕を彼女の体とマットレスの間に差し込むようにして腕を回す
衣類越しに背を撫でているとの体温が心地良いせいかすぐに眠たくなってきた
普段ならば色々と考えて寝るまでに時間が掛かるというのに
だが明日も仕事なのだから眠れるのならばさっさと眠ってしまおう
エルヴィンはそう思い、夜明けが近いのを感じながら目を閉じた


◆ --- ◆ --- ◆ --- ◆ --- ◆


遅くに戻ってきたエルヴィンに自分は「お疲れさまでした」と声を掛けたらしい
覚えてはいないのだが、朝起きた時に彼にそう言われた
寝言を言ったのだろうか
眠りに落ちる直前まで頑張っていたからなと思いながら鏡の前に立ち、シャツの釦を留める
そんな自分の背後にエルヴィンがいて髪を梳いてくれていた
絡まりを丁寧に解いてくれるのを感じながら机に置いた小さな鏡に映る己を見る
寝不足でうっすらと隈が出来てはいるが普段通り――だと思ったのだがふと目に入った物に喉を指先でさすった
触れた部分には違和感は無いのだが、なんだか赤くなっているような
痒くはないから虫刺されではないようだ――と考えたがすぐにそれがなんなのかが分かった

「っ、え、エルヴィン。これ」

そう言うと鏡越しに目を合わせた団長が少し視線を落として首を見る
一度目を瞬くと僅かに笑って口を開いた

「あぁ、跡が残ったか」
「……目立ちますね」

昨日の時点ではこんな場所に跡はなかった筈
という事は、自分が眠ってから付けられたものなのだろう
だがスカーフを巻けばギリギリ隠れる場所か
今日は制服ではないが幸いスカーフを巻いていても変だと思われないような服装だった
外出する予定はないが隠さなければと思い、椅子の背もたれに掛けてあったスカーフを手に取る
洗い替えにと何枚か購入したが、今日のはリヴァイ兵長に貰った物
あの時は助かったなと思いながらそれを首に巻こうとするとエルヴィンが髪を持ち上げてくれた
それに礼を言い、スカーフを巻いて形を整える
更に丈の短いジレを着れば違和感のないコーディネートになった

は何を着ても似合う」
「ふふっ、そうでしょうか。エルヴィンも……私服、似合いそうですね」

彼と恋人関係になってからの姿を思い返すがその中に私服姿はない
毎日制服を着ていて、夜になれば寝衣姿になるが――
という事は彼に休日はないのだろうか
その事実には彼の方へと体ごと向き直った

「エルヴィン」
「うん?」

今自分が見上げる団長も昨日と同じく制服姿
仕事があるのだと思いながらブラシを持っている彼の右手の袖を握った

「……今日もお仕事、なんですね」
「あぁ。壁外へ出た後は色々と報告を受ける。次の任務に備えなければならない」
「忙しいんですね。私、エルヴィンの私服姿を見たことがなくて」
「そう、か。そうだった。仕事が立て込んでいるな」
「休める時は休んでくださいね」
「あぁ。二日間ほど忙しくなるが、その後は休める」

それを聞いてはエルヴィンの手を握る
彼の目がそちらへ向けられるのを感じながら口を開いた

「ゆっくり休んでくださいね。私は……訓練が再開されているでしょうけど……」
。怪我が治るまでは無理だ」
「あ」
「君も休むことになる。……共に過ごせそうだな」
「はい。怪我をして良かった……なんて、兵長に叱られてしまいますね」

普段から目つきの悪いリヴァイ兵長
怪我をして喜ぶ訓練兵がいるなんて知られたらどんな目で睨まれるだろうか
想像もしたくないと思っているとエルヴィンが小さく笑う

「そうだな。今回は怪我で済んだが……リヴァイは失うことを恐れている。俺もだけは失いたくない」
「出来る限り生き残ります」
「……あぁ。俺も君の為に生きよう」
「ふふっ……あ」

彼の言葉に笑ったところで届いた微かな音
同時に気付いたらしいエルヴィンが廊下の方へと目を向けた
一定の間隔で聞こえるのは誰かが歩いている足音
始業時間前なのだが急ぎの用事で兵士が来たのだろう
今日は朝食も一緒にすることは出来ないようだ
そう思い、は彼の手からブラシを受け取る

「行ってください」
「あぁ。君は……」
「今日は部屋で休んでいます。傷も少しだけですが痛みますし……」
「そうしてくれ。本が読みたければ俺の書棚にあるのを持って行っても良い」
「え、良いんですか?」
「興味があるものがあれば良いが」
「ありますあります。読みたいなと思っていて。お借りします」

食い気味にそう言うと彼がおかしそうに笑った
ブラシを机に置いて二人で隣室――団長の私室へと移る
自分が足を踏み入れるのと同時にノックの音が聞こえてエルヴィンがそれに応えた
予想とは違い、静かにではなく勢いよく開かれた扉の向こうには長い髪を高い位置で一つに束ね、眼鏡をかけた兵士が一人
足音で何となく予想していたが、それが的中して嬉しく思う

「早いな、ハンジ」
「おはようございます、ハンジ分隊長」

団長に続き、自分もそう声を掛けると分隊長がニコッと明るい笑顔を見せる

「おはよう。ちょっと急ぎで見て欲しいのがあって。、ちょっとエルヴィンを借りるよ」
「わ、私のことはお気になさらず……お仕事を優先してください」
「エルヴィンは忙しいから二人で過ごす時間もあまりないだろう?ちゃんと甘えられてる?」
「えっ……え、ええ、甘やかされています」
「ハンジ」

エルヴィンが声を掛けると分隊長がチラッと彼の方へ視線を向けた
だがすぐに自分の方を見ると笑って口を開く

「ふふっ、上手くいってるみたいで良かった、安心したよ。……へぇ、私服はそんな感じなんだ。可愛いね」
「っ、ありがとうございます」

よく喋る人だと思ったが、同性――多分だけど――からそう言われるとなんだか嬉しく感じた
思わず視線を落とす自分にハンジが笑い、エルヴィンが声を掛けるのを聞きながら横にある書棚へと顔を向ける
並ぶ背表紙は難しそうだが、興味を引かれる物ばかり
時間を掛けてでも読破しようと思いながらは棚の前に立つと目に留まった本に手を伸ばした

2023.06.19 up