03

人間は怪我をするとどうして熱が上がるのだろう
ベッドに横たわり、ぼんやりと天井を見つめてはそんな事を考えていた
もぞりと身動ぎをして体を起こそうとするが、眩暈が酷くてのろのろと頭を枕へと戻す
起きて、身嗜みを整える時間は既に過ぎている
早く起きだして、日課である部屋の掃除をしなければ
それから食事をとって、兵長の補佐として内務を――
そう考えたところでコンコン、と扉をノックする音が聞こえた

「はい……」

思ったよりも掠れた声になってしまったが、相手には届いたようで扉が開かれる
隙間からひょこりと顔を覗かせたのはペトラだった
視線が合うと目を瞬き、彼女が側へと歩み寄って来る

?大丈夫?」
「……熱で、起き上がれなくて」
「熱?ちょっと触るわね」

言いながら彼女が右手をこちらの額に近付ける
女性らしく細い指に白い肌
その指先が前髪を避けるように触れると驚いたように目を軽く見開いた

「凄い熱……これじゃ起きるのは無理ね。医者を呼んでくる」
「薬だけで良いよ」
「でも」
「大丈夫だから」
「……分かったわ。兵長には言っておくから、起き上がっちゃ駄目よ」

その言葉に小さく頷くとペトラが足早に部屋を出て行く
扉が開閉して、足音が遠ざかって
左手を額に乗せ、体温の高さを自覚する
目覚めた時よりも上がっているような気がすると思いながら横にある窓から空を見上げ、流れる雲を見送っているとコンコン、とまたノックの音が室内に響いた

「はい」

視線を空に向けたままそう応えると扉が開かれて、足音が近付いてくる
目を向けると両手で桶を持つオルオの姿が見えた

「……おはよう」
「おはよう。大丈夫か」
「ん……少し、辛い」
「だろうな」

言いながら彼が桶をベッドの横にあるサイドテーブルへと置く
中にタオルを入れていたようで、それを絞って広げると程よい大きさに折り畳んだ
彼の手がこちらの左手を持ち上げると額にタオルが乗せられる
井戸水の冷たさには目を細め、ほんの少しだけ笑った

「気持ち良い……」
「熱高いな。ペトラが薬を貰ってくるって言ってたが……医者は良いのか?」
「病気じゃないし……怪我からの発熱なら解熱剤を飲むしかないから」
「あぁ……そうか」

頭や喉に痛みはないから明らかに受傷による発熱だと分かりきっている
解熱剤を飲んで寝ているしかないだろうと思っているとオルオが机の前から椅子を持って来てそれをベッドの側に置いた
そこに腰を下ろすとこちらに片手を差し出す

「手」
「……ん」

言われた通りに左手を差し出すと彼が下から支えるように触れた
数秒間そうしてからぺいっと払い落とされる

「……酷いな」
「馬鹿、右手だよ」
「……あ、そうだった」
「熱で朦朧としてるな」

そんな言葉を聞き、毛布の中から右手を出してオルオへと差し出した
彼が両手でこちらの手に触れると包帯が解かれる
傷を覆うガーゼが傷口に張り付いていたようで剥がされるとぴりりと嫌な痛みを感じた
ちらりと見えた傷口は血が乾いて赤黒くなっている以外は昨日見た時と変わらない
悪化はしていないようだと思っているとオルオが桶の中からもう一枚のタオルを取り出して水を絞った
それでそっと傷口を拭われていると扉がノックもなく開けられる
視線を向けるとリヴァイがいて、目が合うと室内へと入って来た
その後にエルドとグンタも続いてオルオの手元を皆で覗き込む

「これは……結構大きな傷ですね」
「貫通したと聞いていますが」
「あぁ。ナイフが根元まで入っていた」

リヴァイの言葉に先輩二人の顔色が悪くなる
痛みを想像しているのだろうか
そう思っているとオルオがふうと小さく息をはいた

「それでも平然としていたこいつは……凄いッスね」
「……痛すぎて反応出来なかっただけです」

何も考えずに動いたのが悪いのだろう
手首を掴もうとしたのにタイミングがずれてナイフは手のひらを貫いた
痛みというよりも熱さに驚いて、じわじわと感じて来る強い痛みに逆に冷静になってしまったのはどうしてだろう
だが、あの凶刃がハンジに届かなくて本当に良かった
あの兵士は首を狙ってナイフを突き出していたから
遮らなければ確実に命を奪われていただろう
そう思いながらガーゼにしみ込ませた消毒液で傷を拭う痛みに小さく息をのんだ
それでも顔には出さずにリヴァイへと目を向ける

「……兵長」

上官を呼ぶと彼がこちらに顔を向けて僅かに首を傾けた
目つきは鋭いが、こちらを案じる思いを感じながら言葉を続ける

「昨日の、兵士は……」
「憲兵の仕事だ。……精神疾患で除隊だろう。表向きはな」
「そうですか」

表向きはそのように発表し、調査兵団を除隊したとして片付けられるのだろうか
巨人の討伐に出て仲間の死を目の当たりにした兵士が精神的に疲弊するのは珍しい事ではなかった
恐らく、昨日の男性もそうだったのだろう
あのように他の者に襲い掛かるというのは見た事はないが、歩き方や目つきが異常だった
惨い光景を見て精神に負担が掛かって、あのような行動を――
除隊させ、養生させるという言葉の裏ではどんな処分が下されるのか
兵長の口ぶりからして、恐らく二度と彼の姿を見る事はないだろう
どこかの開拓地に送られるか、それとも一生を幽閉されて終わるのか
分隊長相手にあのような行動をしては一般市民としての生活は出来ないか
そんな事を考えていると包帯を巻き終えたオルオに声を掛けられた

「良いぞ」
「ありがとう」

ゆっくりと肘を曲げ、右手へと視線を向ける
真っ新な包帯が解けないようにしっかりと巻かれていた
指を動かすとズキズキと強い痛みがある
痛いなと思っているとエルドとグンタがほっとしたように肩の力を抜いた

「指は動くのか。良かった」
「復帰までは俺たちがなんとかする。今は体を休めるんだぞ」
「はい」

そう言葉を返したところでぱたぱたと軽い足音が聞こえてくる
開いたままの扉からペトラが駆け込んできて、揃っている班員を見て驚いたように足を止めた

「あっ……の、解熱剤を貰ってきました」
「そうか」
「何か食べてから服用するようにと……なので、リンゴを買ってきました」
「っ、俺がやる」

オルオがそう言い、立ち上がってペトラの手からリンゴが入っているらしい紙袋を取り上げる
そのまま廊下へと出て行く背中を見送ると先輩二人が顔を見合わせて少しだけ首を傾けた
どうやら自分とオルオ以外は彼女の料理の腕前を知らないらしい
ペトラが気まずそうに視線をこちらに向けるのを見ては口を開いた

「ペトラは、危ないので」
「っ、!」
「ふっ……どう頑張っても、皮に実が一センチ程」
「ちょ、言わないで!」

慌てる彼女に男性三人の視線が集中する
ペトラが皆の顔を見回すとすすすっとこちらに来てオルオが座っていた椅子へと腰を下ろした

「わ、私が付いていますので!兵長たちは朝食をどうぞっ……」
「……行くぞ」
「はい。ペトラ、その……」
「じゃがいもで練習をすると良いぞ」

そんな言葉を残して立ち去る人たちを見送ってもぞりと毛布を被り直す
背後で扉が閉められるとペトラがキッと睨むようにしてこちらを見た

「もう、!」
「逆に、器用だと思うよ」
「どこがよ……不器用だなって思ってるの」
「まぁ……それも個性だよ」

そう言いながら再び目を窓の外へと向ける
雲は少なく、心地の良い風が吹いているようだ
こんな日に洗濯をしたらよく乾くだろうに
はそう思いながら毛布の中で右手に巻く包帯を軽く摩った


◆ --- ◆ --- ◆ --- ◆ --- ◆


「眠っているかも知れませんが……」
「構わないよ。ちょっと、顔を見たいだけだから」

仕事の合間に立ち寄った特別作戦班の兵舎
掃除が行き届き、埃一つない階段をハンジは手摺に掴まり、左脚だけで上がっていた
ここまで使ってきた松葉杖は背後にいるグンタが持ってくれている
転げ落ちた時の為にとこちらの動きに注視しているのも分かった
足の痛みが引くまで見舞いは控えた方が良かったか
そう思ったのだが、やはり心配する気持ちが大きかった
二階の廊下に辿り着くと松葉杖を受け取って先を進むグンタの後に付いていく
玄関ホールか一階の部屋にしか出入りした事がなく、二階に立ち入るのは初めてだった
視線をきょろきょろと動かすが、やはりどこもかしこも掃除が行き届いている
木製の床は磨かれて艶やかで、窓硝子にも指紋一つ付いていなかった
綺麗すぎてちょっと落ち着かない感じがする
そう思いながら廊下を進み、北東の位置にある部屋の扉の前でグンタが足を止めた
コンコン、とノックをして応答を待ってそっと扉が開かれる
中に声を掛けると一歩後ろへと引いて――中からエルドが出て来た

「ハンジ分隊長。はちょうど眠ってしまったところですが……」
「うん、少し顔を見たら帰るから」
「そうですか。どうぞ」

中へと促されて出来るだけ音を立てないように部屋へと入る
松葉杖をそっと下ろして、ゆっくりと足を前に踏み出して
背後で扉が閉められる音を聞きながら室内を見回した
余計な物が一切置かれておらず、あまり生活感のない部屋だがなんだか良い香りがする
消毒液の匂いもするが、爽やかな――いつもから感じる香りでこの部屋は満たされていた
この香りは好きだなと思いながらベッドの側に置かれた椅子へと腰を下ろす
サイドテーブルに松葉杖を立て掛けて、そこに積まれた本に目を止めた
背表紙を見ると内容に一貫性はない
という事は、を看病している班員が持ち込んで読んでいるのか
交代で看ているのだと分かり、微かな寝息を立てるを見た
瞳は瞼の向こうに閉ざされているが、寝顔であってもやはり彼は綺麗で――
寝相も良いようだと思いながら毛布の上に伸ばされた右手に視線を移す
痛みを与えないようにそっと両手で触れると傷を避けて摩った

「……痛かっただろうね」

受傷した部分が手では無意識に動かしてしまい痛みが収まるまで時間が掛かるだろう
それに熱が出ているようで触れる部分からは高い体温が伝わってきた
顔を見れば色白の彼の頬には赤みがさしている
呼吸も少し息苦しそうに見えた
自分を庇って彼がこのように辛い思いをするなんて

「ありがとう、。……私は――」

起きていたら決して言えない言葉を小さく呟いた
廊下で待機しているであろう班員に聞こえないように
そして眠っているにも――
自分の耳にだけ届く言葉にハンジは笑みを浮かべると男性らしく筋張った彼の手の甲をそっと撫でた

2022.08.14 up