04

リヴァイ班に居れば自然と日課になる掃除
自室の掃除を終えたところで喉の渇きを覚え、オルオは厨房へと向かった
今、その場所ではウィンクルムが昼食の下準備をしている頃だろうか
そう思い戸口から中を覗くと、ボウルに布を被せる彼女の姿が見える
パン生地を発酵させるのだろうと思いながら中に入るとウィンクルムが顔を上げた

「オルオ」
「おう。ちょっと喉が渇いたんだ」
「そうでしたか。今、紅茶を淹れるのにお湯を沸かしているところです」
「そうか」

恐らく兵長に言われているのだろう
自分も貰ってしまおうと思い棚から茶器を取り出した
紅茶の缶に触れたところで視線を感じて背後を振り返る
するとリヴァイが戸口に立ち、こちらを見ていた
視線が自分とウィンクルムを行き来するのが分かる
それを見てオルオは缶から指先を離すと彼の方へ体を向けた

「リヴァイ兵長」
「……なんだ」
「もし……もしッスけど、兵長に、好きな人がいるんなら――」

自分の言葉にウィンクルムがこちらに顔を向ける
オルオは一歩前に出ると彼女の手を握った

「ちゃんと、伝えないと後悔しますよ。……俺みたいに」
「……」
「俺、ウィルが戻らなかったとき……後悔しましたから」
「……そうか」

まっすぐにこちらを見ていた兵長が少し視線を落とし、それからふいと顔を背ける
そのまま立ち去るのを見て、足音が遠ざかって――
オルオはふうと息をはくとウィンクルムの方を見た
こちらを見上げている彼女に笑みを見せると手を離して棚から紅茶の缶を取る
蓋を開けて、茶葉を入れようとしたところで声を掛けられた

「オルオ」
「ん?」
「私も、後悔しました」
「……お前も?」
「はい。好きですって、言っておけば良かったって」
「ははっ、そうか。今も夢に見るが……本当に最悪な気分になる」

今、彼女はこうして自分の側に居るのに
行方が分からなくなったあの日のことを思い返していると腹部を圧迫された
視線を落とすとウィンクルムの腕が回されているのが見える
捲り上げられたシャツの袖から一生残るであろう傷跡が覗いていた
初陣でたった一人、奇行種から同期を守る為に戦った彼女
104期の中にその姿がなかったとき、どれだけ後悔したことか
二日後に戻って来た姿を見たときどれだけ嬉しかったか
オルオはそう思いながら彼女の手を覆うように自分の手を重ねた


◆ --- ◆ --- ◆ --- ◆ --- ◆


「止まって、止まって……ふぅ」

くいくいと手綱を引いて馬の脚を止めさせる
正面にあるのはお城のような外観の調査兵団旧本部
リヴァイに手当を受けてから今日で五日が過ぎていた
あの後、駐屯兵の診療所に行って傷を診てもらったが兵長の手当てで問題ないということで軟膏と替えのガーゼ、それに包帯を渡されただけ
それらも二日前には外すことが出来て今は軟膏だけを傷口に塗っている
友人たちは自分を一人にしたことをひたすら謝ってくれたが別に気にしてはいなかった
完全な事故だったし、兵長の手当てを受けるという貴重な体験が出来たし――
今日はあの日、血塗れにしてしまったハンカチを返しにこの場に来ている
壁から遠くて立地は悪いけれど、素敵な場所だと思いながらは馬を下りた
正面に見えている玄関へと歩み寄り日陰の奥にある柵に手綱を結び付ける

「待っててね」

言いながら馬の首を撫でて玄関へと歩み寄った
それを叩こうとして、果たして人の耳に届くのかと考える
これだけ大きな建物だと、気付いてもらえないのでは
でも勝手に入るのも失礼だろうとやはり叩こうとしたところで背後でカツ、と足音が聞こえた
振り返ると男性がいて誰だろうというように首を傾けて――それからはっとしたような表情を浮かべた

か」
「っ、はい、そうです」

この人はウィンクルムの恋人のオルオという男性だ
そう思い、姿勢を正すと彼がこちらへと歩み寄ってきた

「どうした、こんな場所に。何か用か?」
「あの、兵長にお借りしたハンカチをお返しに……」
「そうか」

言いながら彼が扉へと近付いてそれを引き開ける
入るようにと促されてオルオの後に続いて中へと入った
目つきが少し怖いけれど、優しい感じがする
ウィンクルムは彼のそんな所に惹かれたのだろうか
そう思いながら周囲を見回して、綺麗だなと思った
長らく放置されていたと聞いていたが見渡す限り掃除が行き届いている
日の光が差し込む階段の手摺なんて艶々として眩しいくらいだった
異世界に来てしまったような錯覚を覚えているとオルオが廊下の奥へと声を掛ける

「ウィル」

ウィル、とは誰だろう
班員の人だろうかと思っていると薄暗い廊下の先から小柄な影が小走りに出て来た

「はい?」
「すまん、茶を淹れてくれるか」
「あっ……はい、すぐに」

驚いたことに、出て来たのはあのウィンクルムだった
彼女がこちらを見て大きな目を軽く見開くとすぐに来た道を戻って行く
先ほど口にしたのは彼女の愛称なのだろうか
彼だけが口にする、特別な呼び方なのかなと思いながらオルオの案内で階段を上がった
曇り一つなく磨かれた窓ガラスを見上げていると彼がふと足を止めてこちらを見る

「?」
「ここ、どうしたんだ?」

ここ、と言いながら自らの右の目の上を指さす彼
は自分のその部分に指先を触れると、恥ずかしさを感じながら口を開いた

「あの、五日前の風が強い日に……補給地点の大型ボンベの木枠が崩れてしまって。それがちょっと掠めたんです」
「そうか」
「すぐに兵長が手当てしてくれて。……その時にお借りしたハンカチを、お返しに来ました」
「へぇ。……あの日か、どこにも居ねぇと思った」

ぽつりとそう漏らした彼が前に向き直って再び階段を上がり始める
その後を追って、二階の廊下を歩いて
辿り着いたのは南東にある部屋だった
彼が扉の前に立ち、ノックをするとすぐに返答がある
ノブを握って静かに引き開けると中の人へと声が掛けられた

「リヴァイ兵長、お客さんッス」
「客?」

そんなやり取りがされてオルオがこちらに顔を向ける
緊張して密かに深呼吸をしながら足を踏み出した
体を部屋の方に向けると、椅子に座る人を見てぺこりと頭を下げる

「突然すみません」
「……てめぇか」

ここでハンカチを渡して素早く帰ろう――という目論見はそっと背を押されたことにより頓挫した
突然のことに踏み止まれずに足が前へと踏み出す
驚いている間にも背後で扉が閉められる音が聞こえた
二人きりにしないでくれと思いながら、ぎくしゃくと動いてポケットに手を入れる
右のポケットからハンカチを取り出してこちらに少し体を向けて椅子に座る彼の側に歩み寄るとそれを差し出した

「ハンカチを、お返しに来ました」
「あぁ……」

視線を落とした彼がこちらの手からそれを受け取る
表面を撫でるように親指が動き、こちらへと目を向けられた

「あの血をよく落せたな」
「あ……はい、ちょっと手間取りましたが……友達がやり方を教えてくれたので」
「そうか」
「はい。あ、あと……」

言いながら今度は左のポケットに手を入れた
そこに無理矢理突っ込んできた物を引っ張り出すとそれを両手で差し出す

「こちらはお礼に」

色々な人に聞きまわり、知っている訳がないとばかり言われ、最後の望みだと通りすがりのエルヴィン団長に聞いて漸く判明した好物
紅茶は高級品だが、買えない値段ではない
暫く自分のささやかな贅沢を我慢すれば買えるものだった
色々と種類があって、散々迷ったが店に並ぶ中でもそこそこの値段だった物
この程度、兵長ならば飲み慣れているだろうけれど――
そう思っていると彼がこちらの手からそれを掴み上げた

「紅茶か」
「はい、兵長は紅茶がお好きだと聞きました」
「あぁ」

ほんの少しだが口角が上がるのを見てほっとする
心の中でエルヴィン団長に感謝をしているとコンコン、と扉がノックされる
入れ、とリヴァイが答えると静かに扉が開かれてウィンクルムが顔を覗かせた
トレイを片手に部屋に入ってくると紅茶のカップを兵長の前に置き、もう一つを机の手前側――自分の手の届く場所へと置いてくれる

「ごゆっくり」

にこ、と可愛らしく微笑んで立ち去る彼女
だから二人きりにしないでくれと思っている間にも扉は再び閉められてしまった
カチャ、と音が聞こえて顔の向きを戻すと個性的な手付きでカップを持ち上げるリヴァイが見える
一口飲んでからふとこちらを見上げ、それから室内を見回して――

「……座る場所がねぇな」
「あ、お気になさらず。立ったままで大丈夫ですっ」
「客を立たせられるか」

そう言うと彼がカップをソーサーに戻してそれごと持ち上げた
側にある窓に歩み寄るとその窓枠に腰かける
そして座るようにと顎で促されて、そろりと椅子に近付いた
リヴァイに背を向けて座ってはおかしいだろうと思い、椅子を窓の方に向ける
そこに座って、紅茶のカップを手に取って
湯気を上げるそれに口を付けるととても良い香りがした
普段は飲むことがなくてその美味しさに感動していると、リヴァイがじっと自分を見た
どうしたのかと自分も彼を見上げるが、何故だかさっと顔を背けられてしまう
なんだか様子が少しおかしいような
はそう思いながら透き通った褐色の紅茶へと視線を落とした

2022.03.10 up