01

一定の間隔で馬の蹄が地面を削る音が聞こえて視線をそちらへと向ける
馬の足音なんて聞き慣れたもので珍しいものではなかった
ただ、なんとなく――と思って見えたのは騎乗する外套を身に着けた一人の兵士
そんな姿も見慣れているが、何故かその人の動きを視線で追ってしまう
肌の色は白く、優しい色合いの髪は前髪と耳の横を流れる部分以外はピシッと纏められていた
顔立ちは整っていて、長いまつ毛に縁どられた瞳は灰色
このような美しい兵士がいただろうか――と思ったところで外套が翻り、彼女が背負う紋章が目に入る

「憲兵……」

ぽつりとそう漏らすとアルミンと話をしていたエレンがこちらに顔を向けた

「憲兵?」
「あの人」
「……あぁ、あの紋章……どうしてトロスト区に……」
「時々、見掛けるよ。団長に用事があるのかも」

アルミンの言葉にエレンが納得したように頷いた

「そうだな。憲兵団が来るなら、団長に会いに来るくらいだろ」
「若い人だった」
「へぇ、俺たちよりも少し上か……憲兵って上位十人しか入れないんだよな。あの人は、その中に入ったのか」

訓練兵団の成績上位者で王都を守る憲兵団に入った兵士
内地に行きたい訓練兵にとっては憧れの存在だった
自分たちは元から調査兵団を希望しているからあまり関わる事もないが――
ミカサはそう思いながら頬に触れる黒髪を押さえて行き交う人々の向こうに消える憲兵を見送った




馬の手綱を握り、きょろりと視線を彷徨わせる
王都からこちらに戻ってくるのは半年振りだった
前に来た時とは色々と変わっているところがあり、知っているようで知らない場所に来てしまったような感じがする
この地区にある実家に顔を見せ、それから兵舎の並ぶこちらへ来たのだが目的の場所は何処にあるのか
移設してしまったようで、どうにも場所が分からなかった
駐屯兵に聞いてみようか――と思ったところで見知った人物を見つける
思わず笑みを浮かべ、馬に合図を送るとその人の方へと向かわせた
少し速度を速めると蹄が小気味よい音を立てる
近付く音に気付いたのか、青年が肩越しにこちらへ目を向けた
視線が合うと体ごと振り返り、名を呼ぼうとしたのか口が開きかける
声を発する前に鞍から足を外し、同時に両腕を広げてその人へと飛びついた

「オルオ!」
「お前っ――危ないだろうが!」

驚き、慌てながらもしっかりと抱き止めてくれる彼
よろめく事もなく、細い割にはしっかりと鍛えられた体が衣類越しに伝わってきた
自分がトロスト区へ来る時には顔を合わせる機会がなく、月に一度手紙を交わすだけ
こうして顔を合わせるのは実に三年振りの事だった
背が高くなって、男らしくなったではないか
嬉しく思いながら首に抱きついていると、視線の先に一人の女性がひょこりと顔を覗かせた

「あっ……じゃない!」
「こんにちは、ペトラ」
「三年ぶり、かしら?すっかり大人になっちゃって。綺麗になったわね」

彼女の言葉に照れていると、その側に二人の男性がそろりと近付いて来る
ちらちらと視線を合わせるとそっとペトラに声を掛けた

「ペトラ、あの子は……?」
「オルオの恋人なのか?」

そんな会話が聞こえて吹き出しそうになるのを寸前で堪える
なんでそんな勘違いを――と思ったが、このように抱き合っていては誤解を与えるか
そう思い、首に抱きついていた腕の力を緩めると宙に浮いていた靴底が地面に触れた
オルオが一歩横に移動して三人の方に向き合う

「先輩たちは会ったことないッスよね。俺の妹です」
「妹?」
「……似ている、か。髪と、目の色が……」
「……顔が似てないのは自覚してるッス」

ため息交じりにそう返すオルオ――兄の言葉に内心首を傾げた
髪と目の色だけではなく、他にも似ているところはあるのに
目つきが悪いところとか
そう思いながらも、先輩と言われた二人へ敬礼した

「初めまして。・ボザドです」
「あ、あぁ、俺はエルド・ジンだ」
「グンタ・シュルツ。宜しくな」
「よろしくお願いします」
「ところで……どこの所属なんだ?トロスト区ではないな」
「はい、王都です」
「っ、憲兵か」
「はい」

外套を着けているから紋章は背中にしか付いていない
だから兵科が分からなかったのだろう
自分としては兄と同じ調査兵団に入りたかったのだけど
でも両親と、そしてオルオに憲兵団へ行けと言われて仕方がなく
家族としては自分を安全な内地へと行かせたかったのだろう
もし自分が親になり子を授かって、その子の成績が良ければ同じ事を願うだろうからそれに従ってしまったけれど
でも兄だって上位の成績で、憲兵団に入る事が出来たのに
オルオの場合は憧れの兵長が居たから調査兵団を選んだのだろう
そう思いながらは静かに側に佇む馬の手綱に手を触れた

「オルオ、団長室って移設したんだよね?」
「あぁ、向こうの広場に出たら右の突き当りだ」
「そう。ありがと」
「団長に用事か?」
「うん」
、すぐに王都に戻るの?」
「ううん、暫くこっちにいるよ」
「やった、沢山話したいことがあるのよ。用事が終わったら私たちの兵舎に来てね」
「うん。兵舎はどこ?」
「リヴァイ兵長と同じ兵舎だ。向こうの大通りに面した……まぁ、見ればわかる」
「ん、了解」

そう言葉を返すと馬の背へと跨って手綱を握り直した
合図を送り、ゆっくりと足を進めて兄に教えてもらった方向へと向かう
背中に視線を感じながら、は視線だけを少し落とした

「……王都、か」

王の住む城があり、貴族が住む壁内の中心部
煌びやかな装いの令息令嬢に比べ、自分たち兵士の姿がなんと滑稽な事か
幾つもの壁に覆われて巨人なんて入り込む事も無い
ただ、悪事を働く人間を相手に少し乱闘をするくらいが関の山だった
それが訓練兵団を卒業した自分の仕事だなんて
とてもつまらない三年間だったと思い、小さく溜息を漏らすと前方の兵舎に目を向けた




、か……王都にいたせいか、仕草が上品だな」
「まぁ……貴族に囲まれていれば、自然とそうなるんじゃないッスか?」
「美人だったな……」
「だから……顔は似てないんスよ……」
「ふふっ。とっても良い子ですよ。いーっつもオルオと競い合って。兵士になったのもオルオが入団したから、よね?」
「あぁ、まあ……」
「……オルオ。お前も成績上位だったんだろう?どうして憲兵に行かなかったんだ」
「それは……兵長が、調査兵団なんで」
「ふっ、そうか。さあ、仕事を片付けるぞ。さっさと終わらせて妹に構う時間を作らないとな」

ぽん、とエルドの手が肩に触れてオルオは小さく頷く
妹がどうしてこちらへ来たのか
憲兵から団長へ、何か仕事の事でというのが普通だろう
だが彼女が生まれた時から側に居た自分にはそうは感じられず――

(あいつ、何をしに来たんだ……?)

そう思いながらもペトラに背を押されてその場を離れて歩き出す
まぁ、暫くはこちらに滞在するようだから話を聞く事は出来るか
今はエルドが言うように仕事を終わらせてしまおう
オルオはそう思いながらと似ている部分を探しているらしいグンタの視線を受けてほんの少しだけ眉を寄せた


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王都から持ってきた一枚の書類
それに視線を向けるのは調査兵団の団長だった
彼が文字列を視線で追い、軽く目を瞠ると一呼吸おいてから書類が机へと置かれる
それから正面に立つ自分へと顔が向けられた

「これは、君が望んだことなのか」
「はい」
「……後悔はしないか」
「しません。今のままの方が、後悔します」
「……分かった。すぐに対応しよう」
「お願いいたします」

こちらの言葉に彼が頷き、それから机の上で両手の指が組まれる

「所属が決まるまで少し時間が掛かる。それまでに滞在する部屋だが……」
「……そうですね。兄の部屋に居候します。数日なら、置いてくれると思うので」
「分かった。彼には話を?」
「いえ、まだ。……きっと反対するでしょう。戻れと、言われると思います。ですが、決めたことですから」

そう言うと団長がじっとこちらを見つめていた目を僅かに細め、僅かにだが口元が微笑む
片手が書類の上に乗せられると署名部分に指先が触れた

・ボザド。調査兵団は君の編入を歓迎しよう」
「はっ。本日より、よろしくお願いします。エルヴィン団長」

彼の手の下にあるのは憲兵団から調査兵団への転属願い
そこには憲兵の団長であるナイル・ドークと自分の署名がされていた
少し――いや、かなり、とてもしつこく一ヵ月に渡って引き止められたけれど
でも自分が決めた道を曲げる事なく、結局は団長が根負けして嫌々ながらも署名してくれた
毎日毎日、飽きもせず休日の日まで単身で、時には部下を伴って引き留めようとしていた彼
階級のないただの兵士一人によくあそこまでしつこく出来たものだ
最後の日にはナイルも疲れたのか、署名は力なくへろへろな文字になっているけれど
エルヴィンもその書体が気になっているのか、しきりにその部分を指先で摩っていた
それを視界の端に見ながら一礼して団長の前を辞する
扉を開けて廊下に出ると静かに扉を閉めて肩の力を抜いた
これでもう王都に戻ることはない
このトロスト区で、兄と共に壁外で巨人を討伐する事が出来るだろう
特別作戦班には入れないが、同じ調査兵団にいれば何度でもその機会に恵まれる
問題は、巨人を見た事すらない自分が戦えるのかという事だけれど
はそう思い、小さく溜息を漏らすと玄関へと向って足を踏み出した

2022.10.10 up