02

「……きっと、ここね」

ぽつりとそう漏らした自分の視線の先にある兵舎
その周囲は整然と片付けられ、道には紙くず一つ落ちていない
窓は内から外から磨かれて、屋根まで艶々としていて日の光がキラキラと輝いていた
見ればわかる、と言われた兄たちが寝起きする兵舎
彼らの直属の上官である兵士長リヴァイは潔癖症であると兄の手紙に書かれていた
他には紅茶が好きだとか、意外と喋るとか
まぁ、会った事のない兵長だがやけに掃除が行き届いているこの兵舎が彼らの居場所だと分かった
スタスタと近付いてコンコン、と扉をノックする
誰かの耳に届いてくれたかなと思っていると少し間をおいて扉が開かれた
隙間から顔を覗かせたのはペトラで、視線が合うとぱあっと明るい笑顔を見せて招き入れられた

「いらっしゃい、。仕事、終わったの?」
「うん」
「この場所、すぐに分かった?」
「……周りとは違って、綺麗だから。毎日掃除大変だね」
「んふふ、慣れるものよ。兵長は満足せずに休みの日でも掃除しちゃうけど」

こそっとそんな事を耳元で囁かれて笑みを返す
手を握られ、軽く引くようにして奥へと進むペトラ
それに従っていると吹き抜けの正面、二階の通路からこちらを見下ろす男性の姿に気付いた
黒髪で、小柄で――目つきが鋭くて
あぁ、彼が兵長かと思っているとその人が口を開いた

「そいつは……」
「あ、この子は――」

ペトラにそう言われて足を止めるとちらりと彼女を見る
意味を察したのか、頷くのを見ては敬礼をした

「リヴァイ兵長、初めてお目にかかります。・ボザドです」
「ボザド?」
「オルオ・ボザドの妹です」
「……」
「突然の事ですが、数日兄の部屋に居させて頂いてよろしいでしょうか」
「構わねぇが……あぁ、似ているな」

ぽつりと返された言葉
髪と目の色の事かと思っているとリヴァイが手摺から手を離して腕を組んだ

「色と、その目つきだ」
「はい。よく喋るところも似ています」
「そうか。確か……憲兵だと聞いているが」
「はい」
「まぁ良い。好きに過ごせ」

言い置いて、どこかへと立ち去る彼
彼を見送ると再びペトラに促されてとある一室へと押し込まれてしまった
その場には兄と、二人の先輩兵士の姿がある

「お、来たか」
「お疲れさん。まぁ、座ってくれ」
「早かったな」

そんな事を口々に言われてペトラの手によって外套を脱がされる
立体機動装置も外されて空いている席――オルオの隣へと座らされた
三人の視線が自分と兄を何度も行き来するのが目の動きで分かる
そしてペトラがふっと笑って口を開いた

「本当、リヴァイ兵長の言うとおりね」
「ん?」
「髪と目の色は同じでしょ?改めて見ると……目つきが似てるなと思って」
「確かに……目元が……」
「その、涼しい、目つきだな」
「言葉を選ばなくて良いですよ。目つきが悪いでしょう」

そんなに容姿の事ばかり言わなくても
まぁ、似ていない兄妹だから仕方がないとは思うけれど
そんな事を考えているとペトラがひらひらと両手をひらめかせた

「なんていうか、あれよ」
「あれ?」
「巷で人気の小説よ」
「?」
「知らない?悪役令嬢の小説」
「……本は好きだけど、そういう系統のは読まないから……」
「そう。面白いわよ。その本に出てくる高位貴族の令嬢みたい。品があって、知識もあって。そしてとても綺麗で……でも目元が冷たいとか、そんな風に表現されているのよ」
「へぇ……」
、髪を下ろせば令嬢みたいじゃない。結構長いでしょう?」
「髪は切る暇がなくて」

言いながら纏めている髪留めに手を触れる
パチンとそれを外すと押さえる物が無くなった髪が零れ落ちた
癖のある髪がふわりと背を覆う
軽く首を振り、手櫛で適当に整えるとペトラが頬を薄っすらと染めて少し身を乗り出した

「わぁっ……綺麗じゃない。本当に美人になっちゃって」
「そう、かなぁ?」

別に、平均的な顔立ちだと思うのだけど
寧ろ目つきが悪い分マイナスでは
ペトラの美の基準が分からないと思っているとエルドが慌てたように立ち上がった

「あ、あぁ、紅茶を淹れよう。そろそろ兵長も休憩に入る頃だ」
「そう、だな。うん、そうしよう」

彼に続いてグンタも立ち上がり、男性二人で何処かへと立ち去ってしまう
バタバタと駆け足気味の足音が遠ざかると隣で兄が溜息を漏らした

「はぁ……」
「?」
「いや、先輩たちがな……」
「厨房で大騒ぎするわね」
「?」

兵長の部下になるとお茶を淹れる時に騒ぎ出すのだろうか
リヴァイは変わった人だというから、その部下も変わっているのかも知れない
調査兵団のトップが変人とまで言われているエルヴィン団長だから、兵団全体に感染しているのだろうか
そう考えると憲兵団から調査兵団へ編入する自分も変わり者か
そんな風に思考を巡らせているとキィと音を立てて扉が開かれた
視線を向けて、それから首ごと向き直り兄と同時に腰を上げる
ペトラもさっと背筋を伸ばすと入室する人へ頭を下げた

「「「お疲れさまです、リヴァイ兵長」」」

示し合わせた訳でもないの重なる三人の声
それに対してリヴァイが「あぁ」と短く返すと自分たちのいるテーブルの方へと近付いてきた
先程、小柄だと思ったが側に来ると筋肉質な体だと分かる
まぁ人類最強の男性なのだから、力強いのは当然だろうけど――なんて事を考えているとリヴァイの手がこちらの髪に触れた

「っ……?」
「長いな」
「あ……はい。忙しく、切る暇が無かったので」

なんせ癖のある髪だから切ろうにも色々と難しい
結ぶのが面倒だと短くしては広がってしまうし、ならばときちんと切ろうとすると疲れるくらい時間が掛かった
だから結べる程度に伸ばしていたのだが気が付けばこんな長さに
それでも纏めれば立体機動には問題はないのだが――と思っているとリヴァイが髪を持った手を兄に近付けた

「ほう」
「?」
「髪質も同じか。……柔らかいな」
「……性格と同じく、癖のある髪ですよ」

そう言うとリヴァイがこちらに目を向けて僅かに口角が上がる
笑ったのかと驚いていると髪から手を離された
ふわりと元の位置に戻るのを感じながらリヴァイが上座に座るのを待ち、自分とオルオも腰を下ろす
ペトラはいつの間にか姿を消していたが、兵長が来た事を厨房に伝えに行ったのだろうか
そう思ったところでリヴァイの目が自分に向けられた


「はい」
「歳は」
「今年で十八歳になりました」
「オルオの一つ下か」
「はい」
「エルヴィンに用があったのか」
「そうです」
「ついでに兄に会いに来たか」
「はい」
「問題を起こすような奴ではないな。オルオ、面倒を見てやれ」
「はっ。まぁ……本を読んで大人しくしてると思いますが」

オルオの返事を聞きながらちら、とリヴァイを見る
見た目からして無口な人だと思ったが、存外喋るではないか
驚いたなと思っていると複数の足音が近付いて来る
扉の方を見るとエルドが扉を開け、トレイを持ったペトラが入って来た
その後にグンタが続いて、扉が閉められて
紅茶が兵長の前に置かれ、次いで自分の前に、オルオの前に
皆が座ったところでリヴァイが個性的な手つきでカップを持ち上げた
熱くないのかと頭の片隅で思いながら彼が一口飲むのを待つ
喉が動くのを見て「頂きます」と断ってから自分もティーカップに触れた
そっと持ち上げて口元に寄せて良い香りを感じながら一口飲む
ああ、やっぱり紅茶は美味しい
憲兵団に入ると時々、食事に肉料理が出るが自分はそれよりも紅茶の方が良かった
肉は食べ過ぎるとどうにも胃がムカムカして、時にはキリキリと痛んで
体質的に肉とは相性が悪いようだから
そんな事を考えながらカップをソーサーに戻すとほうとどこからか溜息のような気配を感じた
なんだと視線を上げるとこちらに注視するエルドとグンタの顔が見える
僅かに身を引くと彼らがぱち、と目を瞬いて慌てたように首を振った

「いや、その……まさに、令嬢のような感じだと……」
「え?」
「凄いな、気品のある飲み方だった」
「普通に、飲みましたが……?」

一体どこが気品があるというのだろう
自分としては普段通りで、でも兵長が居るから緊張はしているが――
内心首を傾げているとペトラがこちらに顔を向けた

「気付いてないの?少しも音を立てなかったじゃない。カップを持ち上げる時も戻す時も」
「……いつも気配を消すように努力していたせい、かな」
「気配を消す?」
「あまり目立ちたくなくて。いつもひっそりこっそりしてるの」
「何で?」
「……憲兵って、汚職とか色々あるから。巻き込まれないようにね」

兄とリヴァイからも視線を受けて、どうにも居心地が悪い
個人的な事だから兵団がどうのという話ではないのだが
いや、汚職は個人的な事ではないが
自分のような一般兵が関わる事はないし、噂が耳に入る程度だけれど
とにかく、もう二度と憲兵には――王都には行きたくない
エルヴィン団長は受け入れてくれたから後は配属が決まるのを待つだけだった
とはいえ、戦力にならない自分はまずは基本的な技術から学び直す事になるだろうけど
はそう思いながら何か言いたそうな顔をしている兄の視線を綺麗に無視して再び紅茶のカップへと指先を触れた

2022.12.12 up