ミケ・ザカリアス 05

「――では、今の決定で良いな」
「あーあ、残念。私の所に欲しかったのに」

ハンジが両手を頭の後ろに組みながら背もたれへと体を預ける
ギシ、と僅かに木が音を立てるのを聞きながらエルヴィンは腕を組んだ

「予想以上に優秀な兵士だ。どこも彼女が欲しいだろう」
「正直に言えば、俺も欲しいが……エルヴィンに従う」

リヴァイがそう言い、視線を落とす
初陣だというのにが討伐した巨人の数は五体
どこに配属されても充分に戦える兵士だった
将来が素晴らしく楽しみな――期待出来る人材
だからこそ、一般兵ではなく上の地位へ
彼女ならば兵士を率いる分隊長になれるだろう
編入したばかりですぐにという訳にはいかないが
だから、それまでの期間は他の隊に所属して必要な知識を学ぶ事になる
何処へ入れるかと自分も迷ったが――彼に任せておけば間違いはないだろう

「ミケ、頼んだぞ」
「あぁ」
「大丈夫かなぁ……ミケ、あの子に嫌われてない?」

ハンジが背を少し逸らせた姿勢のまま目だけを正面に座る同僚へ向けた
それを受けてミケがほんの僅かに眉を寄せる
何か言おうとした気配はあったが、結局は何も言う事はなかった
返事が無かった事にハンジも気にした様子は見せない
エルヴィンは組んだ腕の先で軽く腕を摩ると小さく溜息を漏らした

「気がかりなのはその部分だ。……良い音だった」
「ふっ……響いたな」

自分の言葉にリヴァイが短く笑ってそう続ける
兵士が慌ただしく行き交う中央拠点に、誰の耳にも届くように響いた平手打ちの音
思わず注視してしまう程の音で、我に帰ったは深々と頭を下げて謝罪していた
誰がどう見ても悪いのは匂いを嗅いだミケだったのだが
背後から近付いて、事もあろうに項に顔を寄せるとは
同性ならばともかく、異性の年若い女性にそんな事をしては叩かれても仕方がないだろう

「……ミケは、止めた方が良いか……」
「え?じゃあどうするの?私の所に入れるのはリヴァイが大反対してくるんだけど」
「優秀な兵士をてめぇの隊に入れられるか。早死にはさせねぇぞ」
「人聞きの悪い……でも、随分と肩入れしてるねぇ。ほんの数日側に居ただけなのに」
は……礼儀正しく、普段は大人しい。特定の相手には口数が多くなるが……討伐する力も十分にある。……なによりも」

リヴァイの言葉に皆が彼の方に顔を向ける
視線を浴びながら兵士長が僅かに首を傾けた
黒髪がサラ、と揺れて背後からの日の光を弾く

「紅茶を淹れる腕前は一流だ」
「……王都仕込みの紅茶……飲んでみたい」

ハンジがため息交じりにそう呟き、後頭部で組んでいた手を下ろして膝に置いた
その間も色々と考えていたが、やはり行きつく先はをミケの隊に入れるという結果ばかり
自分の元に置いても良いが、編入したばかりの彼女を団長付きにしては妬む者も出るだろう
憲兵からの編入だと告知はしてあるが、彼女はまだ若いのだから
ハンジの所へ行かせるのはリヴァイが、そして兄であるオルオが嫌がる
ならばやはり、ミケの所しか――彼女に話をして拒絶するようならばまた考えよう
エルヴィンはそう思い、組んでいた腕を下ろすと口数の少ない分隊長へ顔を向けた

「……やはりミケに任せよう。に団長室へ来るように伝えてくれ」

扉の横に控えていた兵士にそう声を掛けると彼が敬礼をしてさっと部屋を出て行く
それを見送るとハンジが立ち上がってぐぐっと体を伸ばした

「じゃ、私は仕事に戻るよ。……あぁ、残念だなぁ」

名残惜しそうにそう呟いて歩き出すハンジに続き、リヴァイも立ち上がる
靴音を響かせて二人が部屋を出るとエルヴィンは背もたれに身を預けた

「……大丈夫か、ミケ」
「あれは、俺の失態だ」
「今後は気を付けてくれ。……女性相手にはするなと、言っているのに……」
「見慣れない顔で……元憲兵団。興味が勝った」
「それで、どんな匂いだったんだ」
「……変わった匂いだ。不思議な、兵士だな」
「……そうだな」

そんな言葉を交わしてから自分も立ち上がる
これから団長室に向かい、来るであろうに配属先を伝えなければ
自分の言葉に彼女はどんな表情を見せるだろう
エルヴィンはそんな事を考えながらミケと共に作戦会議室を後にした




少し吊り上がった瞳を大きく見開き、閉じられていた唇が歯を食いしばるようにして僅かに歯列が覗く
背に回された手の動きは見えないが、恐らくは強く握りしめられて僅かに肩が震えた
美しい顔立ちの女性がこのような表情をすると迫力がある
あぁ、言葉に出さずにこんなにも拒絶の意思を見せるとは
再考しようと声を掛けようとしたところでが口を開く
ゆっくりと息を吸い、それから長い長い沈黙の末に漸く言葉を発した

「……っ……、……了解しました。団長の命に従います」
「大丈夫か」
「………………」
「……?」
「……はい。問題ありません」
「再考しよう」
「団長が考えてくださった配置です。他の兵士の邪魔にならないよう、尽力致します」

微笑んでそう返した彼女は言い終えるとすっと無表情になる
その様変わりした様子に内心驚きながらも頷くと、の背後に控えている兵士に視線を向けた
彼が前へと足を踏み出すと持っていたものを彼女へと差し出す

「調査兵団のジャケットと外套だ」
「ありがとうございます。……憲兵の紋章はこちらでは目立ちますね」
「そうだな。エリートだと証明しているようなものだ」
「ふふ……これは焚き付けにでも使いましょうか。よく燃えるでしょう」

そう言い、自らの身に纏うジャケットを軽く引っ張る
憲兵への未練が微塵も無いのだと感じさせて少し安心した
なにせ調査兵団は兵士不足だから
誰が好んで巨人が闊歩する壁外へと行きたがるのか
最も安全な内地から、自ら望んでこちらへ来た彼女を周囲は変わった女性だと思うだろうが――

「エルヴィン団長。分隊長の元へはいつ行けば宜しいでしょうか」
「昼を過ぎてから。時間を空けさせてある」
「了解しました。失礼いたします」

右腕に制服を抱えたまま敬礼をし、くるりと背を向けて部屋を出て行く
その華奢な体に憲兵の紋章を背負う姿を見るのはこれが最後か
エルヴィンはそう思いながら扉の向こうへと姿を消す彼女を見送った


◆ --- ◆ --- ◆ --- ◆ --- ◆


「で、配属先は」
「うふふ」
?」
「んっふふ」
「おい……」
「どうしたんだ?」
「はぁーあ」
、どうしちゃったの?」

リヴァイ班の四人に囲まれて色々と声を掛けられる
だがは返事にもならない言葉を返してばかりだった
すでに昼食を食べ終えて、ここに居られるのは三十分くらいしかないのに

「さいあくぅ」

言いながらずりり、とソファの座面を僅かに滑り落ちる
脚がローテーブルの下に入り込み、半ば仰向け状態になって天井を見上げた
ああ、この兵舎は天井まで艶やかだ
綺麗すぎて落ち着かないと思ったが、掃除が行き届いているのは気持ちが良い
そんな事を考えていると視線の先に兄の顔が見えた

「まさか、ハンジさんのとこじゃないだろうな」
「えぇっ、死んじゃうわよ!」
「さすがに巨人の捕獲には参加させないだろう」
「そうだな。まだ新兵と変わらない。初陣を済ませたばかりだぞ」

視線の先で皆がそんな言葉を交わしている
なんて仲の良い班員だろう
自分もこの中に混ざりたかった
大丈夫か、と聞かれた時に無理です、と言ったら良かったか
だが団長の言葉には逆らえずに心の内では拒絶しながらも受け入れてしまった

「……大きい分隊長」
「ミケ分隊長か?」
「ミケさんなの?あぁ、良かった……いえ、良くは、ないわね」
「……気まずいだろうな」
「だが、理由あっての平手打ちだ。俺だって嗅がれた時は悲鳴を上げたんだぞ」

あれはグンタも悲鳴を上げたのか
まぁ、匂いを嗅がれるなんて屈辱にも等しいから仕方がないが
そんな事を考えているとキィと扉が開かれる音が聞こえた
オルオに腕を引かれて体を起こされ、目に入った人を見て立ち上がる
するとテーブルを挟んで立つリヴァイがこちらに目を向けた


「はい」
「最後に紅茶を淹れていけ」
「了解しました」

兵長に紅茶を淹れるのも最後か
いや、休みの日にお邪魔して、その時にリヴァイが在室ならば淹れられるか
そう思いながらいそいそと厨房へと向かった
さっさと湯を沸かして茶葉を容器に入れてカップを用意して
人数分の紅茶を淹れるとトレイを持って談話室へと戻る
開けられたままの扉から中に入ると、皆がテーブルを囲んで座っていた
その前にカップを置き、最後に自分の前にも置いて腰を下ろす
リヴァイが手を伸ばしてカップの縁を掴み――相変わらず個性的だ――それを口元へと寄せた

「……てめぇは、上手く紅茶を淹れる」
「そうでしょうか」
「惜しいな」
「光栄です。あ、そうだ……少し、お待ちください」

さっと立ち上がり談話室を出て二階へと向かう
兄の部屋に入るとベッドの下に置いてあった平たい箱を引っ張り出した
それを脇に寄せると潜り込むようにしてベッドの下に上半身を突っ込む
奥の方に寄せておいた箱を掴むと後退して抜け出した
どちらも自分が王都から発送した荷物
片方は衣類で、もう一方は趣向品だった

「これだけあれば……二ヶ月は、もつかな?」

そう呟き、少し乱れた髪を整えると箱を抱えて談話室へと戻る
皆が紅茶を飲んでいるのを見ながら側に寄り、視線を受けながら箱をテーブルの上に置いた

「これは?」
「紅茶の葉です。王都にのみ流通していると聞いています」
「王都の、紅茶か」
「はい。こちらに来る時に沢山買いました。皆さんで飲んでください」

そう言うとリヴァイが一つ手に取って刻印されている文字へと目を落とす
貴族が手にするものだから外見から凝っていて手触りも良い物だった
あまり物欲はなくて本を読むのは好きだが書庫から借りたものだけで済ませてしまう
だから、お小遣いは増えるばかりで、そのお金で買った紅茶の葉
王都で唯一自分が好んだ物が紅茶だった
頻繁に来ることはなくなるだろうからと沢山買って持って来たのだが、お世話になったお礼に置いて行こう
そう思っていると箱の中を覗いていたオルオがこちらに顔を向けた

「自分が飲むために買ったんだろ?」
「私は憲兵の友達に頼めば送ってもらえるから」

憲兵には嫌々なったが、共に入団した同期の友人とは仲良くしている
編入すると言った時に引き留められもしたが、最後には皆で送り出してくれた
死なないでね、と手を握り懇願するように言われてしまったけれど
元気にしているかなと思っているとリヴァイが視線をこちらへと向けた

「貰っておこう」
「はい。……オルオって、ベッドの下も綺麗にしてるね」
「?、当たり前だろ。見えないところだって掃除するぞ」
「ふぅん。男の人って、ああいう場所に如何わしい本を隠してるって聞いたけど」
「んなこと誰に聞いたんだよ」
「え?訓練兵団の同期とか、憲兵の先輩とか?」
「碌な奴がいねぇな」
「はぁ、見つけたらペトラに教えて一緒に馬鹿にしようと思ってたのに」
「あのな!興味ねぇよ、そんな物!」
「えぇ!女の人に興味ないの!?……見る目が変わったわ。あぁ、だからリヴァイ兵長が好きなのね。いつも兵長兵長兵長兵長って。手紙にだって一通で最高十八回も書いてきたもの。思わず数えちゃうくらいリヴァイ兵長の話ばかり。スカーフまでお揃いで……憧れてるって言っておきながらそっちだったなんて。男性同士のことを否定している訳じゃないの。むしろ憧れるわ、性別を超えた愛だもの、素敵じゃない。兵団って圧倒的に男性が多いから、そっちの道に入る人もいるって分かってるのよ。妹として応援してるから、頑張ってね」
「はあぁ……すみません、兵長。馬鹿な妹で……」
「いや……見ていて飽きねぇな」

言いながらコン、と小さな音を立てて紅茶の缶がテーブルに置かれる
それを見てはソファへと腰を下ろした
エルドやグンタ、ペトラが腹部を押さえ、口元を手で覆ってぷるぷると震えている
顔も赤くなっていて、噴き出すのを堪えているのだと分かった
なにかおかしな事でも言ってしまっただろうか
そう思いながら自分の前に置いてあるカップをすっと持ち上げた
この紅茶を飲んだらミケの元へ行かなければ
どんな顔をして挨拶をすれば良いのだろう
考えると気が重くなり、それを誤魔化すようにしてカップを口元に寄せた

2024.01.28