05

公休日は晴天だった
実家へ顔を見せに行くという班員を玄関で見送り、そっと扉を閉める
帰る場所のある彼らと、帰る場所のない自分
それを寂しく思った事は一度もなかった
ただ、時間を持て余してしまうのが困るだけで
この手では掃除も出来ないから部屋で大人しく過ごそう
そう思い、階段を上がって二階にある自室へと入った
兵長に呼ばれたらすぐに応じられるように扉は開いたまま
正面にある窓を開けるとそこに寄り掛かるようにして立ち、外を眺めた
遠ざかる二人の先輩と二人の同期の姿を見えなくなるまで見つめて、それから脱力したように窓枠に乗せた腕に頭を凭れさせる
吹き抜ける風に髪が揺れ、目を閉じて――
昼食はどうしようか
朝は食堂に行ったが、公休日で料理人の人数も足りていないようだった
忙しいだろうから携帯食料で済ませようか
確か、期限が今日で切れてしまう物が一つあったからそれを昼と晩で分けて食べよう
美味しいとは言えない、ぱさぱさで喉が渇く物体だが腹を満たすのには問題ない
味なんて別に、食べられたらそれで良いし
そう考え、気合を入れて頭を持ち上げると窓を離れて机に歩み寄った
椅子に腰を下ろすと読みかけだった本を引き出しの中から取り出す
ぱらりと捲り、挟んでいた栞の頁を開いて内容に視線を落とした
鳥の囀りを聞き、風の音を聞いて
ぼんやりと文字列を目でなぞっているとカツカツと足音が耳に届いた
はっとして顔を上げるのと同時に戸口に人が立つ気配を感じる
顔を向けると私服を着た兵長の姿が見えた

「兵長」
。てめぇ、昼食はどうする」
「ここで簡単に済ませようかと」
「そうか。俺は食堂へ行く」
「了解しました」

そう応えると彼が階段の方へと歩いて行く
足音が遠ざかるのを聞いては窓の方へ顔を向けた
いつの間にやら時間は過ぎて、時刻は昼になっていたらしい
そういえば、少しお腹が空いたかも
そう思いながら立ち上がると衣装棚を開けて中にある袋へ手を入れた
カサリと音を立てながら包み紙を一つ取り出す
表面に書き込まれた日付を確認するとそれを片手に部屋を出た
自分以外に誰も居ない兵舎はやけに静かで、足音がよく響く
反響する音を聞きながら紅茶を淹れる以外にほぼ機能していない厨房へと入った
コップに水を注ぎ、包み紙を開いて携帯食料を取り出す
長く日の目を見なかったそれはぽろぽろと崩れていて食べ難くなっていた
まあ仕方がないと比較的大きな塊を指に摘まむ
それを口に入れようとしたところでカツ、と足音が聞こえた
驚き、摘まんだ物を落としそうになりながらもそちらに顔を向ける
すると出掛けた筈の兵長が立っていて、何故かこちらを睨んでいた

「っ、リヴァイ兵長?」
「てめぇ、何をしている」
「食事を、しようと」
「そんな物は壁外に出た時だけで十分だ」

言いながら厨房へと入って来ると持っていた携帯食料を取り上げられ、包み紙の上に戻すと無情にもそれごとゴミ箱へと放り込まれてしまう
昼食と夕食が、とショックを受けていると彼の手に腕を掴まれて厨房から連れ出された
廊下に出て、玄関ホールを通過して、そのまま外へ
どこへ行くつもりか――と思いながら斜め前を歩くリヴァイへ目を向けた

「あの……兵長」
「いい加減、自分のことを雑に扱うのは止めろ」
「……」
「いつになったら生きようとする」
「生きようと……?」
「てめぇは死を恐れないから巨人と戦える。てめぇが死んで、周りがどう思うのか分からねぇのか」
「……」
「一人でも良い、特別な相手を持て」
「特別、ですか」
「そうすれば生き伸びようとするだろう。俺じゃなくて良い。てめぇには守りたいと思う奴がいるだろう」
「っ……」

その言葉に何故か動かしてもいない右手がズキリと痛む
守りたいと思っていたから、無意識に体が動いていた
ナイフを持った、異常な動きをする兵士を止めようと
でも、あの人は――
そんな事を考えながら連れて行かれたのは食堂のある兵舎だった
そして、普段は通る事のない廊下を進み、一つの部屋の前でリヴァイが足を止める
確かここは上官が食事をとる部屋では――そう思っている間にも彼が扉を開けて中へと入った
腕を掴まれたままだから自分も入る羽目になってしまい、視線を室内に彷徨わせる
部屋の中央に長テーブルが置かれ、その周囲に椅子が並んでいる
上座にはエルヴィンが座っていて、角を挟んでミケの姿もあって
これはちょっと――と思っている間にもリヴァイが分隊長の向かいに座り、その隣に強引に座らされてしまった

「連れ出せたか」
「あぁ」
「ハンジの予想通りだったな」
「そうだな。携帯食料で済ませようとしていた」
「……すみません……」

悪い事をした訳でもないのに謝罪の言葉が口から洩れる
自分の行動は上官たちの予想の範囲内だったようだ
でも、一日の内の二食を携帯食料で済ませても別に問題はないのに
ただ、期限が今日までの、崩れてしまって原形をとどめていない物だったけれど
そんな事を考えていると扉が開いてハンジが入って来た

の分も頼んできたよ。……大丈夫?」
「え?」
「君が窓辺で項垂れているのが見えたから」
「あ……はい、ぼんやりしていただけなので……」

恥ずかしいところを見られていたのか
別に具合が悪い訳でも、傷心していた訳でもないのに
この場にいる上官は自分に帰る場所がない事を知っている
ただ、深い理由までは知らないだろうけど
自分は過去について話した事はないから
友人にすら話す事を躊躇ってしまうような生い立ちだった
出来れば一生、知られずにいきたいなと思っていると扉がノックされる
それにハンジが応じてミケの隣へと腰を下ろした
開かれた扉から食堂で働く女性が入って来て皆の前に食事が置かれていく
自分の前にもトレイが置かれて、なんだか申し訳なく思った
上官と同じ食事を一般兵が食べて良いのだろうか
内容が豪華なのだけど――と、焼かれた肉に視線を落とした

。遠慮しないで食べてね」
「はい……」

ハンジの言葉に頷いて皆が食べ始めるのを待ってからスプーンを手に取る
野菜が浮かぶスープを飲んで、右手の痛みを堪えながら肉を切ろうとして――

「あ、駄目だよ。貸して」

言葉と同時に肉の皿をハンジに取られ、手早く一口大に切り分けられた

「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」

時間は掛かるが自分でも出来たのに
優しさに礼を言い、フォークを持ち直して肉を刺した
口に入れると普段は味わう事のない食感に少し驚いてしまう
いつもはパンとじゃがいもと豆のスープとか
そんなのしか食べていないから
それに不満を抱いた事は一度もなかった
食べられれば何でも良かったから
きっと、子ども時代が悲惨過ぎたせいだろう
はそう思いながら二切れ目の肉にフォークをそっと差し込んだ


◆ --- ◆ --- ◆ --- ◆ --- ◆


昼食の時間を終え、主が不在の部屋へと忍び込んで引き出しから拝借してきた鍵
それを使って書類が保管されている部屋の扉を開けた
中は埃っぽくて少し黴臭い
カーテンが引かれた窓からの微かな灯りにぼんやりと照らされているが薄暗かった
くしゃみが出そうになるのを堪えながら中に入ると書棚にずらりと並ぶファイルへ目を向ける
所属兵科、年代別に揃えられている兵士に関しての書類
比較的新しい日付の部分から「特別作戦班」と背表紙に貼り付けられているファイルを引き抜いた
幅に対して中に挟まれた書類は少ない
班長を含め、六人しかいないからこの程度の厚みしかないのだろう
そう思いながら表紙を開いて中の紙面へと視線を落とした
ぱらぱらと捲り、中ほどに目的の人の書類を見付ける

「っ、そんな……」

名前とか、生年月日とか、出身地とか
そのようなものが本人の筆跡で書かれている筈なのだが、彼の書類には名前しか書かれていない
いや、書かれているのだが名前の欄に「」と記名された以外は全てが「不明」と記載されていた
備考の欄にはエルヴィンの字で日付と共に「特別作戦班に編入」と記入されている
という事は彼もこの書類を見ているという事だろう
苗字も誕生日も不明だなんて
彼はどこで生まれ育ったのだろう
じっとそれを見つめ、細く息をはきだすとファイルを閉じて元の場所へと戻した
書棚を離れ、廊下に出ると扉を閉めて元通りに施錠する
気になるからちょっと彼の事を知ってみようと思ったのに逆に不明な部分が増えてしまった
エルヴィンやリヴァイはから話を聞いているのだろうか
それとも彼らも何も聞いていないのだろうか
自分が聞いたとしては話をしてくれるのか
彼にとっては話したくない事なのかもしれない
書く事すら嫌で、名前だけの書類になったのかも知れない
色々と考えながら歩き、視線の先に団長の姿を見つけた
彼もこちらを見て足を止めるのを見てのそのそと歩み寄る

「どうした、ハンジ」
「ちょっとね……これ、借りたよ」

言いながら鍵に着けられたタグを摘まんでエルヴィンへと差し出した
自身の机の引き出しに入っていた筈のそれを見て彼が僅かに眉を寄せる

「何を見たかったんだ」
「……秘密」
「……のことか」
「っ……」

こちらの手から鍵を受け取りながら漏らされた言葉にぴくりと肩が揺れた
鍵を手に握りこみ、エルヴィンが小さく溜息をもらす

「俺が知っているのは……リヴァイと同じ、王都の地下街出身だということだけだ」
「……そう、なんだ。じゃあ、あまり良い子ども時代は過ごしていないんだね」
「恐らく」
「彼のこと、なにも知らないから。誕生日とか、年齢とか……知りたいと思って」
「……」
「それなのに、名前しか書いてないなんて、さ……」
「そうだな」
「……エルヴィン。リヴァイとを呼んでくれる?あと、ミケも」
「聞き出すつもりか」
「上官として、知っておいた方が良いと思う」
「……そうだな」

少し視線を落とし、そう言葉を返す団長
公休日だから時間はあるだろうと夕刻に呼び出す事になり、ハンジはその場を離れた
は己の事を話してくれるだろうか
拒否するのならば無理には聞き出すことはないが――

「何も分からないのは……ねぇ」

ぽつりとそう呟くとまだ高い位置にある太陽を見上げ、その眩しさに目を細めた

2023.01.09 up