06

蝋燭の灯りが揺らめく休憩室
上座に座るエルヴィンは腕を組み、目を閉じて呼び出した人物が訪れるのを待っていた
テーブルを挟んで角に座るミケは肘を膝に付き、脚を持て余し気味にしている
その対面に座る自分も空いている座面を指先で摩りながらぼんやりと暗くなった外を眺めていた
やがて廊下から二人分の足音が聞こえ、コンコンとノックの音が聞こえて
エルヴィンが目を開けると「入れ」と短く応じた
キィと音を立てて扉を開けたのはで、端に寄って先にリヴァイを室内へと通す
いよいよかと思い無意識に背筋を伸ばす自分の隣に兵長が座り、下座にが腰を下ろした
人数が揃ったところでエルヴィンが組んでいた腕を下ろす

「公休日だというのにすまない」
「エルヴィン。何の用だ」
「……のことだ」
「?」
「彼の経歴だ。名前以外不明となっている」

その言葉を聞いてもの表情は変わらない
薄く微笑んだ表情で背筋を伸ばし、両手を膝の上に置き、まっすぐに対面に座るエルヴィンを見つめていた
四人の視線が集まると漸く視線がテーブルへと落されて、膝に乗せた手の指が折り込まれる

「経歴、ですか」
「無理には聞かないが」
「いえ。確かにあれは……自分でもよく訓練兵団に入れたと思うくらいのもので」

驚いた事に入団手続きですらあの状態で提出したようだ
訓練兵団から調査兵団に入団した時に改めて提出されたものが自分が見たものだろう
そう思っているとが両手の指を解き、軽く重ねてから言葉を続けた

「僕は、どこで生まれたのかは分かりません。両親のことも何も。王都の地下街にある孤児院に……生後すぐに捨てられていたそうです」

予想はしていたが、やはりそうだったのか
親が育てられなかったのか、それとも望まれない妊娠だったのか
他にも色々と理由はあるだろう
生後すぐならば親の顔も知らないのか
名付けられる事もなく手放されるなんて――

「あまり環境の良くない場所、でした。地下街だからというのもあるのでしょうが……一日、何も食べられないのも当たり前のような。よく覚えていませんが」

そうは言うがうっすらとは覚えているのだろう
自身を落ち着かせるかのように、左手がしきりに右手の甲を包帯の上から摩っていた
テーブルへと落としていた視線を上げるとリヴァイの方へと顔を向ける

「兵長とすれ違ったこともありました。何回か……言葉を交わしたことはないですが」
「……そうか。てめぇ、あの場所にいたのか」
「はい。そこで何年か過ごして……小さい頃に僕を養子にしたいと、引き取った人がいて。貴族の、女性でした」

言いながら瞼を閉じると細く息をはいた
左手の指先で目の下に触れると視線が落とされる

「この目が、珍しいからでしょうか。人を招いては僕の目を、自慢していました」

見目も良く、人とは異なる目を持つ
その為にどこかの貴族が目を付けて養子に迎えたのだろう
金持ちが暇つぶしにやりそうな事だと思っていると彼が僅かに目を細めた

「その人に髪を伸ばすように言われて。……ドレスを、着ていました」
「っ……ドレス……」

どうやら、は女の子として育てられたらしい
彼の所作は男性としては柔らかいものなのだがそんな過去があったからなのか
歪んだ趣味の女性に引き取られてしまったのだなと思っていると彼がふうと息をはいた

「そこで……七年、過ごしました。大きくなったから僕を別の貴族に渡すと……そんな話を、偶然聞いて。その次の日に、家出をしたんです。持ち出したドレスを売って、男性が着る服を買って。自分で髪を切りました」
「そう……辛い子ども時代だったね」
「はい……王都を出入りする商人の馬車に乗せてもらって、このトロスト区へ来ました。正確な年齢は分かりませんが……訓練兵団に入ることが出来て。……楽しかった。初めて、友達が出来ました」

そう言い、ちらりとこちらを見て穏やかに微笑む

「僕を養子にした貴族の女性には感謝もしています。読み書きとか、作法とか……教えてもらいましたから。優しい人では、ありました」

彼の言葉にリヴァイが僅かに目を細めた
それから顔をの方に向けるとため息交じりに口を開く

「てめぇのその表情も、貴族のものだな」
「……はい。常に微笑んでいるようにと……相手に、感情を悟られないように。その癖が、今でも抜けないようです」

言われてみれば確かに彼の表情はあまり変わらない
常に口元に笑みを浮かべた表情を浮かべていた
幼い頃の生活で青年になった今も上手く表情に出す事が出来ないのか
貴族とはなんて窮屈な生活をしているのだろう
そう思っているとがエルヴィンの方へと顔を向けた

「このような、生い立ちなので……不明としか書けませんでした。本当は、名前も……というのは、読んだことのある本に出て来た名前を書いただけなんです」
「良い名前だ。……すまない、辛い話をさせてしまったな」
「いいえ。今まで誰にも話せなくて。話すこともないだろうと思っていましたが……すっきりしました」

言いながら肩の力を抜いたは確かに重荷を下ろしたかのような表情をしていた
いや、表情は変わらずに雰囲気的にそう感じただけだけれど
辛い子ども時代だっただろうに、それを隠す優しい笑みを浮かべていた
貴族というのは常に体面を気にして――だからを引き取った女性も彼にその表情を強制して――
そう考えるとその微笑みすら悲痛なものに感じられた

彼の事を、知りたいと思った
地下街育ちならばあまり良い生活をしていないと予想もしていた
でも現実は思った以上に悲惨なもので――

ハンジは膝に置いた手に力を籠めるとリヴァイと言葉を交わすへと視線を向けた


◆ --- ◆ --- ◆ --- ◆ --- ◆


轟音を立てて廃屋が崩れる
巨人が腕を振り回し、なぎ倒されたそれは高く土埃を舞い上げた
そんな崩壊に巻き込まれ――崩れる屋根の向こうで巨人の項を削いだ兵士がこちらへと飛んでくる
前から抱えるようにして上になり、その背中に容赦なく廃材が落ちてくるのがやけにゆっくりと見えた

「っ――!」
「動かないで」

名を呼ぶ自分の耳に、静かな声が返される
大きな音と共に梁や屋根の残骸が落ちてきて、カラ、と小さな音を立てて石の破片が彼の背中を転がった
背に乗る廃材を落としながらゆっくりと上体を起こしたがこちらを見下ろして笑みを浮かべる

「無事でしたか」
「!……君は、いつも、どうして――」
「行ってください。モブリットさんが捜しています」

こちらの言葉を遮りながら立ち上がると腕を引かれてしまい、仕方なく腰を上げた
広範囲に崩れた家屋を見回すとが支点を定めて飛び去っていく
瞬く間に遠ざかる姿を見送り、任務中だからと己に言い聞かせると自分もその場を離れた
部下の姿を捜して信煙弾の上がる場所へと向かう
モブリットには完成したばかりのトラップの設置を任せていたからそれの確認の為に呼ばれたのだろうか
そう思いながら屋根の上に下りると、複数の兵士が忙しなく動いているのを見る

「ハンジ分隊長!」
「あぁ、モブリット」
「どこに行っていたんですか。心配しましたよ」
「ちょっと、ね。状況は?」
「最終確認も終わっています。リヴァイ班がこちらへ巨人を誘導してくれるそうです」
「そう。じゃあ、それを待って試運転だね」

そんな言葉を交わしていると離れた場所にある家屋の屋根から声が上がる

「来ました!奇行種です!」
「よし、位置に着け!」

このチャンスを逃せばまた巨人をどこからか連れて来なければならない
囮になるのは見知った顔の兵士なのだから出来る事ならば一回で済ませたかった
屋根の上に身を低くして構える部下たち
ハンジは煙突の側に立つと囮役の兵士へと目を向けた
相手は奇行種だから通常種よりも扱いは難しいだろう
近くよりも遠くの人間を狙い、飛び上がっておまけに這いずるという動きをするのだから
そんな相手を手の届かないギリギリの距離で誘導しているのはだった
ついさっき、あんな危険な行動をしたばかりだというのに――
彼の後ろを奇行種が走り、更に後方を他のリヴァイ班が追跡している

!そのまま真っ直ぐ行け!俺たちはトラップの直前で止まるぞ!」

エルドの言葉に彼が軽く手を上げて応じる
その右手には抜糸を済ませたとはいえ痛々しい傷跡が残っていた
彼が左右で待ち構える兵士の間を通り抜け、補佐していた班員がトラップの手前で追尾を止めて屋根に下りる
奇行種が通り抜けようとしたところでハンジは右腕を上げた

「放て!」

言葉と同時に発射される捕獲用のワイヤー
奇行種に次々と突き刺さり、動きを止めるのを見守った
思った以上に性能は良いかも知れない
なんて考えたところで一本のワイヤーが横から項を貫いてしまった

「あっ」

声を上げるのと同時に巨人の体から力が抜けて、討伐してしまったのが分かる

「あぁぁ……」

奇行種と同じようにがくりとその場に膝を付き、両手も付いて項垂れる
せっかく危険を承知のうえで巨人を誘導してもらったのに
捕獲のチャンスを無駄にしてしまったと思っているとタッと軽い音を立てて隣に人が降り立った

「惜しかったですね。まさか項に刺さるとは……」
「ごめん、……」
「いいえ。これくらいなら何度でも」
「うぅっ……トラップの試運転の名目でやっとエルヴィンとリヴァイを納得させたのに……!」
「次は捕獲できますよ。奇行種が動きを止めたんですから。運が悪かっただけです」
「……そう、だね」
「では、僕たちは討伐に戻ります」

そう言い、彼がくるりと身を翻し、班員と共に何処かへと飛び去る
その姿を見送り、はあとため息をもらして屋根へと視線を落として
そして、目に入った血痕にびくりと肩を揺らした
真新しいそれは、日に照らされて光っている
という事は――

「っ、……!」
「彼ならもう行ってしまいましたよ?相変わらず、飛ぶのが速くて――」
「モブリット、なんで止めなかった!」
「止める、って?」
「この血!だろう?」
「え?多分……そう、ですね」
「どこか怪我をして……あぁ、なんでいつも無理をするんだろう」

どこからの出血なのか、傷の大きさや深さはどうなのか
復帰したばかりだというのにまた待機になってしまうのでは
そう思い、彼の後を追おうと脇からグリップを引き抜いた

「分隊長、どこへ行くつもりですか」
の様子を見てくる」
「え、ですがこのトラップの調整は――」
「巨人の捕獲よりも彼の方が大事だろう!」

思わず声を荒らげると副隊長が驚いた表情を見せた
同様に、周囲の部下たちも信じられないという顔をする
そんな彼らの視線を受けながらハンジはくるりと背を向けるとアンカーを放った
辺りを見回して、信煙弾の上がる場所に目を留める
そちらへと向かうと遠目にもリヴァイ班が飛び回っているのが分かった
その中に、ペトラと共に大型巨人を討伐する彼の姿もある
班員は彼の怪我に気付いていないのだろうか
あれだけ動けているという事は、深刻な怪我ではないのかも知れないが――
そう思いながら側へと近付くと邪魔な巨人の項を削ぐ
彼の事にばかり意識が向いて気付かなかったが、どうやらここは中央広場のようだ
巨人が集る場所だが、そこにエルヴィンがいて、その側にリヴァイを始めとした班員が下りて行く
それを追うようにして自分も着地するとそのままへと向かって走った
資材や木箱が積まれた場所の側でグンタと何か話をしている彼
足音に気付いたのかがこちらへ顔を向けて目を瞬いた
何かを言おうと口が開きかけるのを見ながら腕を広げて彼の体に速度を落とさずに突っ込んでしまう

「うわっ――」

そんな短い声が上がりガタンと音を立てて木箱の上に半ば押し倒すような形で倒れ込んだ
ああ、は怪我をしているのに
でも心配と、苛立ちと――色々な感情が混ざりどうにも動きを制御できなかった
「いたた……」と小さく漏らされた声を聞きながら頭を上げて下手に動けば唇が触れそうなくらいの距離で彼の顔を見る
顔色は悪くはない
痛いと言ったのは木箱にぶつかったせいだろうか
注意深く観察していると、彼が少し顔を右へ向け、両手を上げてこちらとの間に壁を作った


「……近いです」
「君、どこに怪我を――」
「近いんです、ハンジ分隊長」

そう言い、身を捩るのを見て目を瞬く
それとほぼ同時にぐいと襟を引っ張られてとの距離が開いた

「ハンジ、俺の部下を襲うな」
「っ、リヴァイ、襲ってるんじゃなくて、彼が怪我を――」
「はぁ……真昼間から襲ってるようにしか見えねぇ」

呆れたようにそう言い、リヴァイの手が襟から離される
視線をに戻すと彼はほっとしたように息をはいていた
もぞりと動き、上体を起こすとの背が触れた部分に血痕が残る
受傷したのは背中だと分かり、それを見たペトラが小さく声を上げた

「きゃっ……、血が」
「うん。ちょっと痛い」
「なんですぐに言わないの!」
「任務中だから」
「もうっ!どうして自分を大事にしてくれないのよ!」

怒るペトラの言葉に自分と同じ考えの人が居たとほっとする
するとリヴァイが溜息をもらしてこちらに顔を向けた

「ハンジ。こいつを任せる。俺たちは残った巨人の討伐だ」
「了解」

そう返すと班員がそれぞれに声を掛けて飛び去って行く
それを見送った彼が少し恥ずかしそうにこちらに顔を向けた

「すみません……」
「……構わないよ。エルヴィン、診療所は?」
「あの建物だ」
「分かった。行こう、
「はい……」

視線を落とす彼を促してエルヴィンの側を離れる
歩きながらの外套とジャケットを掴んで捲ってみると白いシャツが上の方から赤く染まっているのが見えた
外套もジャケットも厚地だから浸透するまで時間が掛かったのだろう
だがシャツから滲み出た血がぽた、と落ちるのが見えた
傷は結構大きな物なのかもしれない
ハンジはそう思いながら外套を戻すと彼の腕に手をそっと添えて診療所へと急いだ

2023.11.26 up