04

一日の仕事を終え、篝火が焚かれる中を兵舎へと向かって歩く
冷たい風が吹き抜けて思わず首を竦めたところで、馬の蹄の音が聞こえた
無意識に視線を向けるとが騎乗してこちらへと向かってくるのが見える
思わず足を止めるとこちらに気付いた彼女が馬の背から下りた
手綱を引き、側まで来ると足を止めてこちらを見上げる

「こんばんは」
「はっ、こんばんは」

姿勢を正してそう返すとが可笑しそうに笑った
それから視線を落とし、こちらの手に彼女の手が触れて
ドキッとするが袖が捲られて傷の確認をするのだと分かった
彼女の手当てを受けたその場所はもう傷も塞がって瘡蓋になっている
薬を塗る必要も、包帯を巻く必要もなくなっていた
ただ、治りかけ特有のかゆみを時々感じるくらいで――
と思っているとその部分をそっと撫でられた

「痛みは?」
「大丈夫ッスよ。もう触っても痛くないですから」
「そう、良かった」

言い終えて離される手
外気に長く晒されていたのかその手は冷たく冷えていた
こんな時刻に何処へ行っていたのか
そう思っているとが視線を上げた

「今日もお疲れさま。じゃあ、失礼するよ」
「はい、お疲れさまでした」

そう言うと彼女が頷いて手綱を引いて立ち去って行く
の後ろ姿を見送り、兵舎の影に消えたところでふうと息をはいた
周囲が暗くて良かった
赤くなった顔に気付かなかっただろうから
だが、何故彼女はあんな表情をしていたのだろう
笑っているのに元気がなく、寂しそうで――泣きそうで
何かあったのだろうか
話を聞ければ良かったのだが言い出す事は出来なかった
もっと、親しい関係ならば話を出来ただろうに
そう思いながら前へと向き直ると道を歩き出した
見えてきたリヴァイ班の兵舎を見上げ、その玄関の前に立つ
扉を開けて、中へと入って
静かな玄関フロアを見回しながら扉を閉めた
早く入浴を済ませて残った書類の作成をしなければ
そう思い、正面の階段へ向かって歩き出したところで二階から声を掛けられた

「オルオ」
「っ、兵長」
「遅かったな」
「はい、団長の手伝いをして来ました」
「そうか」
「あと、分隊長なんですが……」
「あいつがどうかしたか」
「なんか、元気がなくて。何か、あったのかと……」

こちらの言葉にリヴァイが少し視線を落とした
目を閉じて、それからこちらに向き直ると僅かに頷き口を開く

「そうだな……今日は十日だ。また、行ったんだろうな」
「十日……?」
「毎月のことだ」

言い終えて彼がくるりと踵を返し、私室がある方へと歩いて行った
その姿を見送り、遠くに扉の開閉音が聞こえたところで目を瞬く
リヴァイの口ぶりからしては毎月十日に何処かへ出掛けているらしい
先ほど側に寄った時に感じた煙草の匂いは関係があるのだろうか
今まで彼女に対面した時には感じなかったあの独特の匂い
月に一度だけ、あの人はどこかで煙草を吸っているのか

「……分隊長……」

誰かを想って、偲んでいるのかも知れない
好い人が居たのだろうか
あの人は美人だから、過去に恋人がいてもおかしくないだろう
むしろその存在がいない方が不思議だった
まぁ、性別不詳だから好意を抱いても、想いを打ち明けられないという人も居るのだろうが
自分も以前はその一人で、今は――ただ、勇気がなくて告げられない
彼女に釣り合うような容姿ではないから
ハンジとの関係を知り、性別を知ってからは以前よりも話せるようにはなった
でも、それだけで親しくなった訳ではない
胸の奥で何かが閊えたような感じがして思わずシャツを手で掴む

「はぁ……っ」

大きく息をはき、片手で階段の手すりに触れた
なんだか、落ち着かなくてそわそわして――
ずっとこの気持ちを抱えたまま、生きる事になるのか
辛いし、苦しいし――いっその事、想いを告げてフラれた方が良いのでは――
顔を合わせるのが気まずくはなるが、それも時が経てば自然と解消されるだろう
こんな気持ちで巨人の討伐に集中しろと言う方が自分には無理だった

「……ま、期待はしないが」

彼女が、良い返事を返してくれるとは思わない
互いに兵士という立場で、明日死んでもおかしくない身で――
オルオは手摺に触れる手にぐっと力を籠めると階段へと足を掛けた


◆ --- ◆ --- ◆ --- ◆ --- ◆


告白をしよう、と思ったもののなかなかその機会に恵まれない
分隊長を呼び出せるような立場ではないし、彼女は部下を連れている事が多いから話しかける事も出来なかった
胸の痛みはじりじりと増すばかりで――そう思いながら馬の首を撫でる
暫く壁外に出ていないから、二時間ほど遠乗りにでも行こうか
そう思い手綱や鐙を取り付けると柵を開いた
自ら出てくるのを見ながら柵を閉じ、手綱を手に取りながら厩を出る
兵士が行き交うのを尻目に騎乗するとゆっくりと馬を進めた
兵舎を離れ、町を通り抜けて
平原へと出ると西の方角へと馬を駆けさせる
蹄が土を削り、風が髪を揺らして通り抜けた
その心地良さに目を細め、手綱を操らずに好きな方向へと向かわせる
この先にあるのは小高い丘と、その先に広がる墓地
あまり息抜きには適さない場所だが、墓地を背にしてみる景色は良いものだった
自分の馬は何故だか行き先を指示しなければいつもこの場所へと来てしまう
こいつもあの場所が好きなのだろうか
そう思いながら丘を駆けあがり、前方に広がる墓地が視界に入る
普段は人の姿を見る事はないのだが今日は一人、墓参りに訪れている人が居た
自由の翼を背負う外套
フードを被ったその姿にだ――と思っているとしゃがみ込んでいる彼女がごそ、と手元を動かした
こちらに背を向けているから何をしているのかは分からない
じっと見つめているとふわりと紫煙が昇り、それから咳き込むように体が揺れた
顔から離された右手の指は人差し指と親指で摘まむように煙草を持っている
慣れていないその持ち方に、やはり常に吸っているわけではないと分かった
風に吹かれて自分にも煙草の匂いを感じられて――というところで馬が首を振り手綱がカチャカチャと音を立てる
あ、と思った時にはがこちらを振り返り、目が合ってしまった
その表情は驚いたように軽く目を見開いていて、それから微笑むと側へ来るようにと手振りで促される
それを見て馬を下りると手綱を手に墓地の中へと入った
長らく放置され、草で覆われる墓に朽ちかけた墓標
それらを尻目に彼女の側に歩み寄ると比較的新しく見える墓へと視線を落とした
一体誰の物なのだろう
そう思っているとが立ち上がった

「私の前の分隊長だよ」
「っ……そう、なんですか」
「二年前の兵站拠点の設置任務の時にね。……色々あって、孤立してしまって。支援が来るまで二日掛かったんだよ」
「……」
「彼は傷を負っていて動ける状態じゃなかった。それでも部下を励ましてくれたんだ。でも、傷が壊疽してね。範囲が広くて、手当も間に合わなくて。最後まで苦しんで……死んでいったよ」
「それで、分隊長は……小さな傷も放っておけないんスね」
「あんな姿を見てしまったからね」

そう言い、火が消えないようにか煙草を口元へと寄せる
唇で挟んですうっと息を吸って――それからケホッと咳と共に煙をはき出した

「煙草が、好きな人だった。煙いと言っても止めてくれなくてね」
「そうだったんスか。……それで、毎月この日に煙草を手向けているんスね」
「そう」

墓へと視線を向けたまま、が少しだけ微笑んでそう返す
その綺麗な横顔を見てオルオはぐっと両手を握った
彼女の目が生前の分隊長を見ているようで――それが、悲しいくらい優しい微笑みで

「その人のこと、好きだったんスね」
「……どうかな。尊敬は、していたけど」
「……」
「ここに来て、愚痴を聞いてもらうんだよ。黙って聞いてくれるから」
「愚痴……」
「主に兄のことをね」
「あぁ……」

ハンジの事についてならば愚痴りたい気持ちも分かる
熱心なのは良いのだが、巨人の研究についてだけは困るような任務に同行させようとするから
そう思っているとが煙草を片手に持っていた小さな灰皿に押し付けた
火種を潰し、蓋を閉めるとそれを布の小さな袋へと入れる
ジャケットのポケットへと手を入れるのを見てオルオは彼女の顔へと視線を向けた

「君は遠乗りに?」
「はい。俺の馬、この丘が好きで……俺もここから町の方を見るのが好きなんスよ」
「そう、良い景色だよね」
「はい」
「……リヴァイ兵長がね、いつも君の話をしてくれるんだ」
「え?」
「若いのによくやっているって」
「っ……」
「彼は幸せだね。君のような部下がいて」
「そんな……俺、まだ雑用を片付けることしか出来なくて……」
「それで助かっているんだよ。忙しい人だからね」
「……はい」

そう答えるとが体ごとこちらへと向き直る
見下ろす位置からこちらを見る目は彼女以外に見た事のない色
血の色が、そのまま透けているかのような鮮やかな赤
それを見つめるとオルオはぐっと喉に力を込めた

「お、俺っ……」
「?」
「……俺、あなたが好きです」

ああ、言ってしまった
そう思ったのと同時にの目が軽く見開かれる
ぱち、と目を瞬いて視線が逸らされて、それから再び自分を見た
唇が何か言おうと開きかけるのを見て先に声を発する

「すみません、突然……失礼しますっ」

言い終えるのと同時に馬の背に跨った
軽く合図を与えると馬が彼女の背後を通り、墓標の間を通り抜けて丘を駆け下りる
は今、どんな顔をしているだろうか
呆れているか、それとも――

「あぁ、でも……すっきりした」

胸を締め付けるようなもやもやとした気持ちが消えたような気がする
一方的に告げて、逃げるだけになってしまったが――
これで巨人の討伐に専念する事が出来るだろう
オルオはそう思い、遠くに見える町へと目を向けると小さく息をはいて笑みを浮かべた

2022.11.13 up